会員の完走文/エッセイ集




2009年萩往還完走記  (田中 貴浩)


  • @. 250kmの部申し込みまで
  •  2007年9月、3回目の挑戦となった雁坂峠越え秩父往還140km走で、ウルトラマラソンでは初めての制限時間(24時間)オーバーでのゴールとなった。練習不足とはいえショックで、翌年のリベンジは誓ったものの、早めにリベンジできるレースはないかと考えていたら、ふと毎年GWに開催されている萩往還が頭に浮かんだ。萩往還といえば250kmが有名だが、140kmを走らないと出場できないこともあり、将来250kmを走ろうと思った時にすぐ申し込みできるな、とも思い140kmに申し込んだ。  こうして2008年、140kmの部に出場して21時間16分台で無事に完走し、秩父往還のリベンジを果たすとともに250kmの部への挑戦権を得たが、この時点ではまだ250kmへ挑戦しようとは思っていなかった。  2008年9月に秩父往還を完走後、フーさんに湘南の160kmのレースに誘われ出場した。この頃には250kmに参加してみようか?という気持ちになっており、160kmを完走できたら申し込むつもりでいた。ところが、練習不足がたたり撃沈してしまい、100kmに16時間以上かかり、制限時間を8時間以上残して途中リタイア・・・。この直後は250kmなんて到底無理だな、と考えていたが、不思議なもので時間がたつと、あのボロボロだった状態で100km走れたのだから、もうちょっと練習できれば250km走れるんじゃないか?と前向きな気持ち(?)になってきて、勢いで250kmに申し込んでしまった!
  • A. レース1ヶ月前
  •  2009年4月、本番前最後の長距離練習として、戸田・彩湖70kmを走った。7時間30分を目標に、悪くても8時間で走れるだろうと考えていたら、8時間45分かかってしまった。このままではまずいと思い、一緒に参加していたフーさんにレース1週間前に50km走を付き合ってくれるようにお願いした。  翌週に走ったかすみがうらマラソン(フル)でもボロボロ。中間点で2時間オーバーしており、正直、途中リタイアも頭に浮かんだが、ここでリタイアしたら250kmでも絶対にリタイアしてしまうだろうと思いとどまったが、2000年の北海道マラソン以来続けていたサブフォーを守れず、くしくも2000年のかすみがうらマラソン以来の4時間オーバーとなる4時間46分かかってしまった。  その翌週(本番1週間前)、雨が降る寒い中、予定通り50kmを走り、本番前の長距離練習は完了。レースの制限時間は48時間。単純計算すると、1km11分30秒でゴールできる計算になる。まあ何とかなるだろうと、開き直っていた。
  • B. 会場入り
  •  本当は前日に会場入りしてゆっくりしたいところだが、今の会社は簡単に有休を取らせてもらえず、当日の会場入り。昨年、140kmに参加した時は新幹線で立ちっ放しだったが、今年はゆっくり座って爆睡できた。  16時頃に会場の瑠璃光寺に到着。受付を済ませ、腹ごしらえをしてレースの準備。参加者名簿を見ていると、一昨年の秩父往還で知り合ったHさんの名前が無かった。唯一の知り合いランナーだったので、ちょっと残念。さらに名簿を見ていると、140kmの部に大阪の女性ウルトラランナーM利さんの名前を発見。初めて会ったのは私が秩父往還に初参加した時で、この時は女子2位だったが、昨年の奥武蔵は10時間オーバー、秩父往還はエントリーしながら欠場だったので心配していたが、復活したのかな?うまくレース中に会えればいいが・・・。 レースの準備でまず迷ったのが、スタート時のウェア。リュックを背負って走るため、首を擦ってしまうので上は襟のついているテニスウェア(24時間制限のレースで愛用している)、下はショートタイツでスタートし、冷えてきたらジャージを着るつもりでいたが、荷物は軽いほうがいいかと考えが変わり、ジャージを着てスタンバイ。ところが、スタート時刻が迫ってくると、集まってくるランナーはTシャツ・短パンというスタイルのランナーが意外と多く、中にはランシャツ・ランパンというスタイルのランナーもいるのを見て(こういうランナーは30時間ぐらいで走るのだろうが)、ジャージを脱いでリュックにしまい、当初の予定通りテニスウェア・ショートタイツでスタートすることにした。 このレースは40人ずつぐらいで、2分ぐらいおきのウェーブスタートとなる。私は、第4ウェーブとなった。18時、「エイ!エイ!オーッ!!」の掛け声とともに第1ウェーブがスタートして行った。第2ウェーブ・第3ウェーブもスタートして、いよいよ次は自分達の番!
  • C. スタート〜最初の仮眠まで
  • 私も「エイ!エイ!オーッ!!」の掛け声とともに、いよいよスタートした。スタートまでは、48時間後には一体どうなっているのだろうかと不安もあったが、思ったよりもリラックスしてスタートできた。48時間の長丁場、リュックを背負っていることも考慮し、まずは1キロ7分ペースを意識してスタートしたが、意識するまでも無く、同じようなペースのランナーが多く、走りやすかった。瑠璃光寺から山口駅前を通り、橋を3回渡って川沿いの自転車道へ入った。この自転車道には距離表示があったので、1キロのペースを計ってみると、予定通りのほぼ7分で一安心。 5キロ地点ぐらいになると、前のウェーブでスタートしたランナーや、後ろのウェーブからスタートしたランナーが早くも入り乱れてきた。人数が多くなると走りずらいランナーもいるだろうが、私としては大歓迎!見ず知らずのランナーばかりでも、やっぱり視界に多くのランナーが入るほうが、自分の気持ちが盛り上がってくる! 川沿いの道から少し離れ、13.2km地点の上郷駅前にある最初のエイドに到着。まだそれほどお腹は減っていなかったが、ミニ菓子パンやバナナがあったので食べようとすると、「1人パンとバナナ1個ずつですよーっ」とのスタッフの声。お腹はへっていなくても、食べられないと分かるとよけいに食べたくなった・・・。 辺りはもう暗くなってきたので、ここでヘッドライトを装着して夜ランの準備を整え、このエイドを後にして、再び走り始める。小さな橋の前で信号待ちしているランナーに追い付き、信号が変わって走り始めると、ちょうど私と同じようなペースで走っている男女二人組のランナーがいたので、勝手にペースメーカーにさせてもらい、後ろを着いて走った。小さな川沿いの自転車道に入り、しばらく走っていると、公設か私設か分からない小さなエイドを発見。水と飴ぐらいしか無かったから、ボランティアの施設エイドだったのかな?改めてコース図を見返しても、どこだったのかよく分からない・・・。
  • 21.8km地点、湯の口のエイドに到着。バナナを戴いてちょっと元気が出る。この辺りはエイドが多く、続いて27.8kmの下郷駐輪場のエイドに到着。ここでようやく!?オニギリ登場!一口サイズだったが、5個ぐらい食べて腹ごしらえ。さらに32.0km地点の国道435号線高架下のエイドに到着。ドリンクと飴しかなかったが、ちょうど寒くなってきたので、ここでジャージを着用して、夜の寒さに備える。 ちょっと走ると、田んぼの脇道になった。まだ意識はハッキリしていたから平気だったが、眠気があってフラフラしているようだと、田んぼに落ちそうだな・・・、などと考えながらひたすら走っていると、44.0km地点の西寺のエイドに到着。期待していた食料はなく、水分補給だけしてエイドを後にすると、すぐそばにコンビニがあった。食料を買っておこうと思ってコンビニに寄ると、しゃがみこんでビールを飲んでいるランナーが何人かいた。中にはタバコを吸っているランナーもいたので、自分も真似しようと決意!?
  • 食料と一緒に買ったビールを飲みながら、思わずタバコに火を点けて一服。一服しながら、ふと初めてウルトラを走った時のサロマを思い出した。あの時はJ北クラブの仲間に実況ランすることを予告して掲示板に書き込みながら走り、応援の書き込みに勇気づけられながらゴールすることができた。今回は予告もしていないし、書き込んでも誰もみてくれないかもしれないかな、と思いつつも、初心に返って掲示板に書き込むことにした。
  • この時の書き込みは、 『ただいま44キロ地点です。約6時間かかっています。 ビール飲んでタバコ吸ってるランナーが何人かいるので、私も仲間入り!? リタイアを意識する前にタバコを吸うのは初めての経験です。果たしてあと200キロ以上走れるのか?』 この時は、レース中にタバコを吸ったのは秩父往還で制限時間内完走を諦めた時と、湘南160kmで完走を諦めた時にタバコを吸いながらトボトボと歩いたことしか思い出さなかったが、後になって考えてみると、ハセツネでしばやんさんにタバコを貰って走ってゴールしたこともあった。ともかく今回は長丁場。ビールはもちろん!?タバコも、欲しくなったら我慢しないことにした。 ビールを飲み終わって出発。少し行くと、ダラダラした上り坂になった。上り坂は、走って少々の時間を稼ぐよりも、無理せずに歩いて体力の消耗を防ぐ方がいいと考え(ただ楽なほうを選んだだけ!?)、歩くことにした。
  • 周りのランナーも同じ考えなのか?上りを走っているランナーはいなかった。それでも私の歩くペースがいくらか速かったのか?何人かのランナー(歩いていたからここではウォーカーか?)を追い抜いて、気が付いたら前にも後ろにもランナーが見えなくなった。それでも1本道だから迷う心配はないと思っていると、上りが終わって下り坂になった。ここで前に追いつこうと走ってみるが、走っても走っても前にランナーが見えてこない。不安になっていると、恐れていた分かれ道が現れた。近付いてみると、道路に大きく矢印が書かれていたので一安心。見落として違う方向に行っちゃうランナーもいるのかな?しばらく走っていると、ガードマンらしき人が、懐中電灯を手にして立っていた。夜遅くまで大変だな、と考えながらその前を通り過ぎようとすると、「コースはこっちですよーっ」と声をかけられた。どうやら大会のスタッフ(誘導員)だったようだ。 この方がいなかったらコースを間違っていたかもしれない。
  • 58.7km、ようやく豊田湖畔公園の第1チェックポイントに到着。
  • うどんとおにぎりを貰った。配られるのはうどん1杯とおにぎり1個だが、おにぎりは休憩テーブルに大量に置いてあって食べ放題!うどん1杯とおにぎり2個を食べて、このレース2度目の一服をしてからトイレに行って、次のエイドを目指して出発した。 この辺りから、少々疲れも出てきた。平坦でも時折歩きが入るようになってきた。残り200kmを切ったとはいえ、まだ走ったことのない距離が残っている。この時点ではまだ睡魔は襲ってきていなかったが、この先はどうなるか分からない。
  • 67.1km地点の俵山温泉のエイドに到着。
  • 飲み物以外は、お菓子ぐらいしかなかった。先程のエイドで食べたばかりとはいえ、腹に溜まるものがないのはちょっと寂しい。 しばらくは道なりに進む。何人かのランナーを追い抜くと、いつの間にやら前にランナーが見えなくなる。ヘッドライトの光が弱まってきたが、空は徐々に明るくなってきた。何とか電池は換えないで済みそうだ。 なんとか79.9km地点の新大坊のエイドに到着。ここはドリンク以外には、豚汁のようなものとバナナしかなかったので、バナナを沢山食べてエネルギー補給。休みながら、2度目の書き込み。 『79.9km地点に到着しました。
  • 11時間15分ぐらいです。リタイアした湘南160キロよりは早いペースです。このまま行ければいいのですが・・・。』
  • 湘南160kmでは、80km地点で12時間をオーバーしていた。あの時は参加者も少なく気持ちが切れてしまったが、萩往還は参加者も多い。気持ちを切らさなければなんとかなる・・・かな? ジャージを脱ごうか迷ったが、まだ少し肌寒かったので、もう少し着ておくことにした。もう夜は明けてきているので、ヘッドライトをはずして、次のエイドを目指す。明るくなってきたので、気持ちよく走れる。とはいえ、疲れは溜まってきているので上りは歩いていたが・・・。
  • 86.7km地点の海湧食堂に到着。
  • ここでは、普通のご飯とおかゆのどちらか一杯ということだったので、消化のよさそうなおかゆを選ぶ。梅干が取り放題のようだったので、沢山もらった。テーブル席が一杯だったので座敷に上がると、奥では熟睡しているランナーがいた。私の後から来た夫婦?の二人も、食事もそこそこにして横になった。まだ私は眠くなかったが、眠っている姿を見ると自分も眠たくなりそうなので、早めにこのエイドを出ることにした。おかゆを食べ終わると、ジャージを脱いで食堂の外へ出た。ここで、3度目の一服をすることにした。一服しながらコースを確認すると、次のエイドは107km過ぎ。ここから20km以上先ということだ。知ってよかったのか、知らない方がよかったのか? 走っていると、楊貴妃の里と書かれた案内板があった。楊貴妃といえばクレオパトラ・小野小町と並ぶ世界三大美女と言われていると思ったが、楊貴妃がいつの時代の人物だったか思い出せなかったし、日本に来たという話も聞いたことが無かったので寄り道しなかった。この時は寄り道する精神的な余裕がなかったが、後でちょっと後悔。真偽の程はともかく、寄っておけば話のネタにできたかな? それから少し走って行くと、この辺りは折り返しコースになっていて、第2チェックポイントから戻ってくるランナーとすれ違う。お互いに挨拶をしながら何人かのランナーとすれ違い、ようやく98.8km地点の第2チェックポイントである俵島に到着。置いてあったチェックライターで自分のチェックシートにチェックすると、オールスポーツの女性カメラマンから「こっちを笑顔で向いてください!」との声がかかる。振り向くと「笑顔が固いですよ!」と言われてしまった・・・。
  • ここには公設のエイドは無かったが、おばあちゃんがボランティアでエイドを設営してくれていた。「焼酎でも飲んで行きな!」と焼酎のペットボトルを見せられたが、これは冗談で、中身は全部水だった。この水と、用意してくれていた塩昆布と梅干を戴いた。お腹が減っていたので、自分で持っていたオニギリを食べて腹ごしらえしてから再スタート。 上り坂が続き、上り切ると下りが続く。100km近く走ると、下りの方が足に衝撃があるので上りよりつらい。下りを走っていると、何故か数人のランナーとすれ違った。一応、挨拶はしたが、どうしてここを逆走しているのだろう?この区間は油谷島を1周するコースになっていて、逆走して1周するなら問題ないが、チェックポイントで折り返したら3kmぐらいショートカットすることになり、完走しても250kmにはならない。逆走していたのは顎鬚の長いランナーが先頭で、3、4人のランナーを引っ張っていた。コースを間違えたのか?それとも意識的にショートカットしたのだろうか? 油谷島を1周すると、今度は逆に第2チャックポイントに向かうランナーとすれ違うようになる。やはりお互いに挨拶してすれ違う。途中、コース上の家の方から、ゼリーとチョコレートを戴いて嬉しかった。早いランナーにはどんどんおいていかれ、遅いランナーを追い抜いていると、いつの間にやらまた前後にランナーが見えなくなった。 単独走になって心細かったが、ようやく107.2km地点の第3チェックポイント、川尻岬の沖田食堂に到着。チェックを済ませて食堂に入ると、カレーライスかカレーうどんのどちらかの選択。腹にたまりそうなカレーライスを注文。待っていると、缶ビールを飲んでいるランナーがいて、私も飲みたくなったので缶ビールを購入!ビールを飲みながらカレーライスを食べた。周りのランナーの話が聞こえてきた。何と、1週間前の富士五湖112kmを走ってきたランナーがこの場に3人いて、その話で盛り上がっていた。1週間前に112kmを走るなんて・・・、とても信じられなかった。カレーを食べながら、3度目の書き込み。
  • 『107キロエイドでビールを飲みながらカレーを食べています。
  • フーさん・きくちゃんさん、ありがとうございます。余裕がある限り、実況も続けます!』 フーさん・きくちゃんさんが、私の書き込みに返信してくれていた。見てくれている仲間がいることが嬉しかった!カレーを食べ終わってから、歯ブラシを持っていたことを思い出した。口の中が気持ち悪くなっていたので、ここで歯みがきをして、口の中をサッパリしてから再スタート。 上り坂は走る気がしないので、ここで初めて会ったランナーと話しながら一緒に歩いた。この方も私と同じく、昨年140kmを完走し、今年初めて250kmに挑戦とのことだった。上り切ってもこの方はもう少し歩くというので、別れて私は走り始めた。何人かのランナーを追い抜くと、またも一人旅になった。町を抜け、畑を抜けると分かれ道。さすがに、明るい中で道路に矢印が書いてあると見落としようもなく、矢印に沿って進む。ちょっとした上り坂があって木々に挟まれた道路に入る。しばらく走って117.1km地点の第4チェックポイント、立石観音に到着するが、チェックライターがあるだけでエイドは無し。お腹がへってきたので、持っている食料は寂しくなっていたが、ちょっとコースをはずれて最後のオニギリを食べた。食べた後は、ちょっと休もうと4度目の一服。この間に多くのランナーに追い抜かれたが、全く気にならず。一服が終わってちょっと走ると、何人かのランナーが小さなお店に集まっていた。この辺りは自販機も見かけないので、500mlのお茶のペットボトルを買おうとして150円を渡したら、「100円だよ!」と言われて50円返された。たかが50円、されど50円。何だかものすごく得した気分になった! しばらく走ると、上り坂が見えてくる。エネルギー切れになりそうで、この上り坂も無理なく歩くことにしたが、歩いても歩いても頂上が見えてこない。頂上に行けば何かお店ぐらいはあるのかな?と思い近くにいたランナーに「頂上には何かお店ありますかね?」と話し掛けてみるが、「アイスが美味しかったって誰かがブログに書いてたから売店ぐらいはあるんじゃないですか。」と、素っ気ない返事が返ってきた。このランナーはシリアス系なのかな?と思ってしばらく並走したが会話はそれっきりだった。
  • 何とか上りきって、ようやく124.7km地点の第5チェックポイント、千畳敷に到着。
  • ここもチェックライターがあるだけでエイドは無かったが、先程の情報通りソフトクリームの売店があったので、迷わず購入!美味しく食べたが、まだお腹が減っていたので持っていたウィダーインゼリーを食べて一休み。 この千畳敷を後にすると、一気の下り坂。惰性で走ったり、足への衝撃が強いので歩いたりしながら進んで行くと、見覚えのある派手なユニフォームで走るランナーが見えてきた。川尻岬のエイドで、富士五湖の話をしていた3人の内の1人だ。川尻岬の前からよく目にしていたランナーで、今までは二人組みで走っていたのになぜか今は1人で走っていた。ここまで話してはいなかったが、気になって「パートナーはどうしたんですか?」と尋ねてみると、「トラックの陰で×××してるよ」との回答。「千畳敷でしてくればよかったじゃないですか!」と言うと、困ったように「俺もそう言ったんだけど、本人が自然が好き見たいでね!」との答え。深くはつっこまずに、先に行くことにした。
  • ようやく130.1km地点の堀田T字路のエイドに到着。
  • 中学生がボランティアをしていて、到着するなり「何を食べますか?」と聞いてきた。カップラーメンが何種類かあったので、醤油味を頼んだが、出てきたのはシーフード味だった・・・。それでも美味しく戴いたが、まだ食べ足りない。もう1個食べてもいいのか聞いてみると、大丈夫との事だったので、改めて醤油味のラーメンを頼んで今度は本当の醤油味のラーメンを戴いた。とっても美味しかった! このエイドを後にしてしばらくすると、国道に入って狭い歩道を走ることになった。すると、何故か脇道からランナーが出てきた。こちらから話し掛ける前に、「足が悪いからショートカットしちゃったよ。」と言ってきた。ベテランでコースを熟知しているのだろうが、足が悪いとはいえショートカットしてゴールの感動が味わえるのかな?
  • 歩道を淡々と走っていると、平坦だが疲れてきて、歩き混じりになってくる。炭酸(ビール?)が欲しくなってきたがコンビにどころか自販機も無くてしばらく歩いていると、ようやく自販機を発見し、休憩してコーラを飲んだ。そこから少し走るとコンビニがあったので、ビールと今後に備えて食料を買ってまた休憩。駐車場で、1人でタバコを吸いながらビールを飲んで回復!? 走り始めると、信号待ちをしている二人のランナーと遭遇。1人は昨年250kmに初挑戦したがリタイアしたノッポのランナー、もう1人は私と同じく昨年140kmを完走して、今年が250kmに初挑戦という背の低いランナー。ノッポのランナーは昨年は序盤でリタイアしたとの事で、また背の低いランナーも初参加ということで、コースが間違っていないか不安ということだった。私にコースを知っているか尋ねてきたが、私も初めてでコースを分からなかったので、まだ真っ直ぐだろうと思いつつもこの2人のランナーと一緒に走ることにした。
  • ノッポのランナーから、次の次にある青海島の食事ができるエイドは、21時で閉まってしまうことを聞いた。スタート前の説明会でスタッフから説明 があったそうだが、説明会には間に合わなかった私には当然初耳。聞いておいて良かった。また、ノッポのランナーは地元の方で一部試走したことがあるようで、青海島から折り返し地点の鯨墓までは、歩道が無く、側溝に蓋が無い部分も多いから明るいうちに通過したほうがいいとの情報を貰った。こうして会話をしながら、142.6km地点の仙崎公園のエイドに到着。ここはペットボトルを1本貰えるだけで、食料は何もなかった。このエイドには、参加者のリュックが置いてあった。このエイドから鯨墓のチェックポイントまで行って、また折り返してこのエイドを通過するので、不要なものは一時預けられるのだが、もう17時を過ぎていて、戻ってくる頃には暗くなっている可能性が高く、ライトが必要になること、また、そうなると当然気温も下がってきてジャージを着ることになる可
  • 可能性もあるので、荷物は預けずに鯨墓を目指すことにした。ここまで一緒に走ってきた二人はトイレに寄るというので、ここでお別れ。私はコースを地図で確認してから走り始ると、先程ショートカットしていたランナーが戻ってきた。鯨墓までの往復は20km以上ある。いくらなんでも20kmも離されるわけはないと思っていたら、チェックポイントまで行かずに戻ってきたとの事。鯨墓まで行っていたらゴールできなくなっちゃう、と言って いたが、これでゴールしたとして、心の底から喜べるのだろうか?自分が同じ状態で20kmをカットするとしたら、230kmまで行って玉砕することを選ぶが・・・。まあレースの楽しみ方は人それぞれ。私がとやかく言うことではないだろう・・・。 それから青海大橋に差し掛かると、端の途中で何故か前を走っている別れたばかりの二人とまた遭遇。それほど長話をしていたつもりはなかったが、二人がトイレに行っている時間よりも長く慎重に地図を見ていたのかな?
  • 橋を登りきってから一旦下り、そしてまた上り坂になったところで、二人はまた歩くというのでここで別れて、また一人旅。ポツリ・ポツリと折り返して戻ってくるランナーとすれ違った。上り切ると下りがずっと続いて、はるか前方に派手なウェアの二人組の姿が見えたので追いつこうと下りを飛ばして走ったが、追いつけなかった。
  • 148.7km地点の青海島(静ヶ浦キャンプ場)のエイドに到着。
  • 折り返し後もここを通るので、後にしようか迷ったが、折り返して戻ってきてからだと閉まっている可能性もあるので、先に食べていくことにした。ここでは、カレーライスかうどんの選択。さっきもカレーは食べたな、と思いつつもやはりお腹に溜まりそうなカレーライスを選択して食べて、鯨墓に向かった。青海島を出ると、先程聞いた情報通り歩道がなくなり、蓋のない側溝がある車道になった。車が通ると本当に怖く、夜にこんなところを走りたくないな、と思いつつ鯨墓を目指した。
  • なんとか153.1km地点の第6チェックポイント、鯨墓に到着。
  • コース案内ではチェックポイントだけとの事だったが、飲み物とプチゼリー・ビスケットなどがあったのでラッキー!戴きながら夜の装備の確認をしていると、ヘッドライトの電池が切れそうだったのを思い出し、電池を交換して古い電池をスタッフの方に処分をお願いした。肌寒くなってきたので、ここでジャージを再び着てから折り返した。 先程のノッポと背の低いランナーの二人組など、多くのランナーとすれ違いながら来た道を戻った。食事をした静ヶ浦キャンプ場の辺りでかなり暗くなってきたので、ヘッドライトを装着した。再び青海大橋を渡って、先程の仙崎公園に到着。下りで飛ばしすぎてしまい、かなり足にダメージを受けてしまったので、ここで休んでいくことにした。またペットボトルを貰おうとすると、行きか帰りどちらかで1本だけということで貰えなかった。仕方なく、自分でコーラを買った。また、ここでは何人かのランナーがリタイアの申告をしていた。これから鯨墓に行くランナーならともかく、私より先にここに到着しているランナーがリタイアとは・・・。この先は相当厳しいのだろうか?コーラを飲んで一服しながら今後のコースを確認して、4度目の書き込みをした。
  • 『163.2キロ地点到着。
  • いつの間にやら未知の距離に入っていました。時間はもうすぐ26時間30分。残り21時間30分で残す距離は90キロ弱。仮眠の時間・疲労を考えるとかなり際どくなりそうです。』  本当に、気が付いたら160km以上走っていた(歩き混じりだが・・・)という感じだった。仮眠できるエイドは175.2km地点なので、ここから約12km。何とか22時(28時間)までに到着して、食事・シャワーを済ませて仮眠し、午前0時に出発できれば残り時間18時間で残す距離は約75km。1km12分ペースで行けば3時間休憩できるかな?と目標を決め、次のエイドを目指した。 走り始めると、またまたノッポと背の低い二人組と遭遇。一服している間に抜かれたようだ。しばらく一緒に走ったが、人に合わせてゆっくり走るよりも、自分ペースで走ったほうが楽なので、1人で先に行くことにした。一本道なのだが、やはり前後にランナーが見えなくなると不安になってくるから不思議だ。T字路に出て道路に書いてある矢印に沿って左の道へ行くと、バス停があったのでベンチに座って一休みしながら地図を確認。エイドまでの距離は約5kmの一本道ということを確認して出発。歩道が片側しかない部分が多く、歩道のある右側を走ったり左側を走ったりしながら進んで行くと、ようやく前方にランナーが見えてきた。一体エイドはどこなのだろうと、追いついたランナーに聞いてみると、「そこですよ。」と50mぐらい先を指差された。ようやく誘導しているスタッフの姿が見えてきた!
  • どうにかこうにか175.2km地点のエイド(仮眠所)宗頭文化センターに到着。
  • 送っておいた荷物(着替え、張替え用テーピングなど)を受け取り、食堂へ。シャワーよりも食事優先!オニギリ・竹の子の煮物(だったかな?)・味噌汁を食べていると、先程のノッポのランナーが到着し、一緒に食べながら話をした。もう1人の背の低いランナーが一緒じゃなかったので、どうしたのか聞いてみると、私が前に出た時に私に着いて来たとの事。私は全く気付いていなかった。食べ終わると、シャワーを浴びにお風呂へ。混んでいるのかと思ったが一人しかいなかったので、悠々と身体を洗えた。湯船にもゆっくりと浸かってサッパリできた。送っておいた新しいTシャツ(襟付きの波崎トライアスロンの参加賞)とランパン(タイツは一着しか持っていなかったため)を着て、ビールを買いに行こうとすると派手なウェアの二人組が出発するところだった。仮眠をとらないのか聞いてみると、ギリギリのゴールだから仮眠はとらないとの事だった。二人を見送ってから仮眠所の向かいにあった酒屋に行き500mlの缶ビールを買って、酒屋の前のベンチに座ってタバコを吸いながらビールを飲みつつ5度目の書き込み。
  • 『175.2キロの入浴・仮眠できるエイドに到着。
  • 入浴は終わり。後はビール飲んでタバコ吸って1時間の仮眠後に出発予定です。』 ビールを飲み終わってから歯を磨いてコンタクトレンズをはずして、仮眠室へ。布団が部屋一杯に敷いてある。爆睡しているランナー、起き上がってレースの準備をしているランナーなど、みんな様々。スタートから29時間、新幹線での仮眠を除けば家で起きてから40時間以上経っている。果たして1時間で起きられるのか?と思いながら携帯のアラームをセットして就寝・・・。
  • D. 目覚め〜
  •  何とかアラームで起きられた。もう少し眠っていたかったが、二度寝したら本当に爆睡してしまいそうなので何とか起き上がった。1時間程度の睡眠では大して疲労も取れなかったが、それでも一眠りして多少は軽くなったかな?コンタクトレンズを入れて膝にテーピングをして、トイレに寄ってから荷物の整理。スタッフに出発することを告げ、不要になった荷物を預けて、いざ出発。午前0時に出発予定だったが、予定より30分近くオーバーして0時30分ごろの出発となった。  ゆっくりだが走っていくと、歩いているランナーに「このまま歩いてもゴールできますか?」声を掛けられた。歩かず走っていたのでベテランと思われたようだ。正直に「私も初めてなのでハッキリとは言い切れませんが、残り75kmぐらいで17時間以上残っているので、1km12分ペースで行っても2時間の余裕がありますよ!」と元気付けてあげた。元気付けたというよりは、自分に言い聞かせて自分を元気付けた面も強い。
  • 178.5km地点の第7チェックポイント、藤井商店に到着。
  • 点滅ライトに照らされたチェックライターがあるだけで、無人だった。少し走ると二股の分かれ道になった。地図で確認すると左へ行くようだが、道路には右を差す矢印が書かれている様にも見えた。後ろを見るとヘッドライトの灯りが見えたので、追いつかれるのを待った。やはり左が正解で、道路に矢印のように見えたのは矢印ではなかったようだ。上り坂になったのでしばらく二人で歩いた。このランナーは神奈川在住で山口に実家があるそうだ。4年前に走友に誘われ、140kmを完走しないと申し込めない事を知らずに250kmに申し込んだら何故かエントリーできてしまったとの事。その時は練習不足で100km程でリタイア、3年前は200km過ぎでリタイア、2年前に初完走したものの昨年はまた200km過ぎでリタイアだったとの事。今年は完走できたときよりもかなり早く宗頭文化センターに到着したので楽勝かと思っていたら30分のつもりの仮眠で3時間眠ってしまい、完走できた2年前とあまり変わらなくなってしまったとの事だった。何度も走っている理由を聞いて 聞いてみると、完走できなかったら完走できるまでは挑戦しつづけようと思い、完走した後はまたこの感動を味わうために参加しているという。この時点での私は完走できてもできなくても今回でやめるつもりでいたが・・・。また、このランナーは秩父往還にも2年連続で参加しているとの事で、昨年は私より30分ぐらい早かったようだ。  上り切るとこのランナーと別れて走ることにした。エイドの滞在時間・休憩時間の長さなら参加者の中でトップクラス!?の私としては、走れる時に走って時間稼ぎ。平坦から下りに入って気持ちよく飛ばしていると、お腹が減ってきた。出発前に何も食べなかったことを後悔したが、時すでに遅し・・・。下り切ってから一休みして、持っていた2個のオニギリのうちの一つを食べた。休む前は回りにランナーは見えなかったが、オニギリを食べている間に何人かのランナーに追い抜かれた。食べ終わると追い抜かれたランナーを目印に走り始めた。
  •  こうして187.6km地点の第8チェックポイント、三見駅に到着。
  • ここもチェックライターがあるだけでスタッフはいなかったが、駅の待合室では何人かのランナーが仮眠を取っていた。まだお腹がへっていたので、最後のオニギリをここで食べた。この時点ではまだ眠くなかったので食べ終わると走り始めたが、後で後悔することになる・・・。  平坦な道はゆっくりと走っていたが、ダラダラした上り坂になって歩き始めると、急に睡魔が襲ってきた。さらには空腹感も襲ってきた。普段なら空腹だと眠れなくなるはずだが、何故か空腹な上に眠い。追い抜いていくランナーを追いかけようとするが力が入らず、全くついて行けず。海沿いの道になり、側道にベンチを見つけてここで仮眠をとろうとしたが、蜘蛛がいたのでやめた。最後の食料、ウィダーインゼリーを食べて腹の足しにしようとするが、空腹感は消えない。もう、なりふりかまっていられないと、空腹感をごまかそうと歩きタバコを吸いながらフラフラと歩いた。深夜で閉まっている店の前に自販機を見つけ、店の前に1人でしゃがみこんでコーラを飲みながらまたも一服。二人のランナーに追い抜かれ、何とか力を振り絞って再び歩き始めた。追い抜いていったランナーのうちの1人は私と同じような状態なのか、つい先程まで走っていたのに、私ヶ追いついた時にはフラフラと歩いていた。もう1人のランナーにはあっという間においていかれたが、何とか視界から消えないように追いかけた。
  •  194.3km地点の玉江駅の前を通りかかると、駅から出てくるランナーがいた。ここはエイドではなかったはずだが、終電が終わってから始発が出る時間帯の間だけ、仮設エイドになっていたようだ。パンとバナナがあったので沢山戴いた。駅の中ではコンクリートの床にブルーシートが敷かれた上で、10人ぐらいのランナーが横になっている。私もここで横になることにした。念の為、アラームを15分後にセットしてから横になると、アッという間に眠りについたようだ・・・。
  • 「すみませーん、もうすぐ始発電車が来るので起きて下さーい!」 アラームに気付かなかったのか?あるいは夢の中でアラームをセットしていたのか?このスタッフの声で起こされた。廻りを見ると、10人ぐらいいたランナーは私を含めて4人になっていた。パンを二切れ口にして駅の外に出ると、もう空が明るくなり始めていた。また、ここがちょうど140kmの部との合流地点で、しっかりした足取りで走ってくる140kmの部のランナー何人かが追い抜いていった。250kmと比べれば短いとはいえ、既に80km以上走っているはずだ。去年、自分がここを走っていたのは何時ごろだったかな?と寝起きのボーっとした頭で考えながら歩いていた。 萩城址前で、140kmの部は左折してエイドへの道、250kmの部は直進してエイドには寄らないという分かれ道。
  • 昨年はこのエイドで、不要になったジャージやヘッドライトを預けゴールに運んでもらったが、今年はこの先もゴールまで持って走らなければならない。
  • 段々と暑くなってきたので、ジャージを脱ぐことにした。上を脱ぎ、下も脱ごうかと思ったが、ジャージの下はランパンなので、後半の石畳や砂利道が続く萩往還道での転倒に備え、下はこのまま履いていくことにした。  またお腹がへってきたが、もう食料は何もない。コンビニを探すがしばらく見つからず。次のエイドまでは10kmもないはずだが、ようやく見つけたコンビニに思わず寄った。ハンバーガーを二つと牛乳を買って駐車場に座り込んで、1人での朝食。食べ終わって走り始めると、見覚えのある後ろ姿のランナーに追い抜かれた。もしやと思って少しスピードを上げると背中に【O阪 M利】のネームプレートを付けていた(参加者全員に都道府県名入りの反射板になっているネームプレートが配られる。私もリュックに付けていた)ので間違いないと確信して声を掛けた。やはりご本人だった。こういうところで知り合いと会えるなんて!とても嬉しかった。このまま少し並走することにした。M利さんは昨年から腰痛がひどくなり、昨年の秩父往還の頃は全く走れなかったとの事。また、今回の萩往還も大分回復しているものの腰痛があるので自重して140kmに参加したとの事だった。普通のランナーから見たら140kmも相当な距離だと思うが・・・。また、 「ここをこの時間に走っているなら制限時間内完走は間違いないね!」 と励まされたり、 「最後の萩往還道、石畳で足元ばっかり見ていると魔法を掛けられたみたいに眠くなるよ。」
  • とおどかされたり(?)した。M利さんが私に合わせてスピードを落としてくれているようだったので、ゆっくり走りますから、と話して別れることにした。初めて会ったランナーと会話しながらはしるのもいいが、知り合いと一緒に走る方がもっと楽しい!わずか1km程度だったが、並走してくれたM利さんに感謝!  別れると、M利さんはどんどん離れていった。虎ヶ崎のエイドまでもう少し!上り坂に入って私は歩きになったが、はるか前方をM利さんは淡々と走っていて、やがて見えなくなった。何とか登り切り、笠山への分岐点へ到着。今年から笠山へは行かないコースになっていた。楽になった反面、昨年、笠山から寄り道して上の展望台から見た景色が綺麗だったので。ちょっと残念!?  下り坂を一気にかけ下った。すぐにエイドがあったと記憶していたが、結構遠い。平坦になった後にダラダラした上り坂になると、歩くことにした。しばらく歩くと、左手に公衆トイレが見えてきた。ここで昨年の記憶がよみがえった。エイドまで後少しだ!
  • 206.3km地点の第9チェックポイントの虎ヶ崎(つばきの館)に到着。
  • ここでもカレーライスかうどんの選択。またカレーか、と思いつつもやはり腹にたまりそうなカレーライスを選択。カレーを受け取って奥のテーブルへ行くと、M利さんがいた。せっかくだから同じテーブルに座りたかったが、残念ながらテーブルはうまっていたので空いていた座敷へ上がった。足を伸ばしながらゆっくりと食べていると、M利さんが立ち上がった。出発するようなので、お互いに励ましあって別れた。カレーを食べ終わって外に出ると、タバコを吸いながらビールを飲んでいるランナーがいた。私も飲みたくなったが、さすがにここで飲んだら最後まで走れなくなるだろうと思い自重して、食後の一服だけすることにした。一服しながら、6度目の書き込み。 『1時間程度の仮眠では、あまり効果がなかったのか?明け方にまた睡魔がおそってきて、再び30分ぐらい仮眠をし、今ようやく206.3キロです。 残りフルとちょっと。最後まで気持ちを切らさないよう頑張ります!』  虎ヶ崎を後にして走り始めるが、足元は自然探勝路の砂利道で小刻みのアップダウンもあるので走るのを諦めて歩くことにした。140kmの部のランナーが勢いよく何人も抜いて行った。ようやく一般の道に出ると、逆走してくるランナーがいた。顎鬚が長く、どこかで見た顔だと思ったが、油谷島を逆送していたランナーだと気付いた。おそらく、コースを間違ったのではなく、ショートカットする為に逆走しているのだろう。私に直接の害はないとはいえ、こういうランナーを見ると嫌になる・・・。  先程通ってきたコースを戻って最終チェックポイント東光寺を目指す。
  • これから虎ヶ崎を目指すランナーとすれ違うが、タイム的には私より遅いはずのランナーが私よりしっかりした足取りで走っているランナーも多い。ゴールまでには逆転されるのかな・・・?  かなり気温も上がってきて、疲労もたまってきているので、ちょっと走ってはしばらく歩くといった感じで進む。自販機があったので缶コーラを買って飲みながら一休み。小さな橋を渡って川沿いの道に入る。ここから東光寺までは1kmもないのだが、とても長く感じるのは昨年の140kmの部で経験済み。この辺りはほとんど歩いていた。
  • ようやく214.6km地点、最終の第10チェックポイントである東光寺に到着。
  • 昨年はボランティアの私設エイドがあったが今年は無かった。チェックを済ませると折り返して通ってきた道を戻って行く。この辺りは昨年も走っているのでコースは分かっている。いつの間にやら70kmの部のランナーも合流している。さすがに70kmの部のランナーは足取り軽く追い抜いていく。  前方で、近所の方からミニおはぎを貰っているランナーが見えた。私も貰えるのかと思ったら、ちょうど前のが最後だったとの事。ショック・・・。せっかくだからとお茶を戴いていると、リュックにつけているネームプレートを見たようで、 「千葉県の田中さんですか?」 と尋ねられた。この方も田中さんだったようだ。全国どこにでもあるような苗字だが、同じ苗字だと分かると何故か親近感が沸いた。
  • 222.2km地点の道の駅、道の駅「萩往還公園」に到着。
  • 昨年はパンやオニギリもあったような気がしたが、今年はドリンク以外は梅干と飴だけ。梅干を食べて塩分補給はしたが、腹の足しにはあまりならない。もう少し腹に何か入れたい。屋台があったので、げそ焼きを買って食べた。  いよいよ最後の山場、萩往還道に入る。しばらく峠道が続く。足元は砂利道だったり石畳だったりと、足裏への衝撃がきつい。登り坂を歩くのはしかたないにしても、下り坂も左足裏が痛く、無理せずに歩くことにした。一旦道路に出て、すぐまた峠道。下り坂を歩いていると、70kmの部のランナーがどんどん追い抜いていった。
  •  一旦街中に入り、225.9km地点の明木市に到着。
  • 多くのランナーが弁当を食べている、と思ったが弁当は「歩け歩けの部35km」の参加者だけで、他の部門の参加者は食べられなかった。それでも、ここには饅頭がいっぱいあったので沢山食べた。何個食べたか覚えていないぐらい食べて腹ごしらえ!
  • しばらく行くと、石畳の上り坂。途中で砂利道になったかと思えばまた石畳。もう足裏の痛みもピーク。また、木々に囲まれて直射日光を避けられる反面、薄暗い中を落ち葉に敷き詰められた足元を見ながら歩いていると、またしても睡魔が襲ってくる。まるで魔法にでもかかったように・・・。M利さんに言われたとおりだった。警戒はしていたが、襲ってくる睡魔にどう対処したらいいのか分からない。フラフラしながらも何とか意識を保って登っていくと、休憩所のようなところに差し掛かったところで突然目の目に立ちはだかった方に声を掛けられた。 「おーい、大丈夫か?目が充血してるぞ。少し休んでいけ!」 素直に従って?手洗い場の水を頭からかぶって目を覚まし、椅子に座って一休み。この方は、私の前で休んでいたランナーの膝にコールドスプレーをかけたりしていた。話をしてみると、普段はスポーツ全般のトレーナーをしているとの事だった。ご本人は走ったりはしないが、陸上・水泳・相撲選手のトレーナーをしているらしく、昨年は相撲選手を全国大会に導いたとの事だった。この方がタバコに火をつけて吸い始めたので、私も一緒にタバコを吸った。この1本を吸い終わったら再スタートするつもりでいたが、吸い終わりそうになると、やっぱりもう1本吸っていこうかな?と気持ちが変わって考えていると、 「タバコを吸うのは止めないけど、自分で吸う本数は決めとけよ。決めないで何本も吸っちゃうと気持ちが折れて走れなくなるぞ!」 さすがトレーナー、私の気持ちが見透かされたのか、まさに最適なアドバイスを頂いた。もう1本吸っていたら、どうなっていたか分からない。タバコは1本でやめ、この方にお礼を言って再出発!しばらく登ってようやく頂上に到着。下り坂になると、自然と足が動いた。もう感覚が麻痺しているのか?水をかぶって頭がスッキリしたせいか?理由は分からないが、また走れるようになっていた!
  • 走っていると、派手なウェアの二人組のランナーに追いついた。挨拶すると、 「寝たのに早いねー」 と言われたので、私は 「寝たからこれだけ走れるんですよ。寝ないで走るなんてとてもできませんよ!」 と答えて先に走った。
  • 最後のエイド、235.7km地点の佐々並市に到着。
  • ここの名物の豆腐を早速戴く。美味しかったので、もう一つ戴いた。食べていると、先程抜いた派手なウェアの二人組ランナーも到着した。二人とも、かなり疲れているようだ。スタートから一睡もしていないというから、40時間以上起きているということだ。私にはとても真似できない・・・。お二人に最後の挨拶をして、ゴールを目指す。もう残りは15kmを切っている!  少し走っていくと、道路沿いに昨年も私設エイドを設営してくれたいたおばあちゃんのエイドがある。自家製の大福をいっぱい用意してくれている。ここで、大福を頂いて最後の一休みをしてラストに備えた。  首切れ地蔵前(の辺り)を通ったが、今年は分からなかった。雑草に囲まれてしまったのか?私の記憶違いで違う場所だったか?
  • 車道に入って上り坂が続くが、ここもゆっくりながらも走った。もう、残りを全て歩いても制限時間内にゴールはできると確信していたが、自然と足が動いた。走っていると、ノッポのランナーに追いついた。  「あれ?ずっと前をはしっているのかと思ったよ!」 と言われたので、朝方に玉江駅で仮眠をとったことを話すと、私には気付かなかったようだが私を含めた数人のランナーが仮眠をとっていた姿はみていたそうだ。この方にも挨拶をして、先を走った。いよいよ最後の大一番、板堂峠に入る。石畳や砂利道を通って萩往還最高所(標高545m)を目指す。木の枝を杖代わりに歩いているランナーが、前方をフラフラしながら歩いていた。疲労がピークにきているのだろう・・・。 なんとか最高点に到達すると、その後は当然のように下り坂が続く。石畳は足が滑りそうだったので無理はしなかったが、砂利道は勢いよく駆け下りていった。すると、背の低いランナーがフラフラしながら歩いていた。 「あと少しです。頑張りましょう!」 と声をかけたが、かなり眠そうに歩いていた。
  • 他にも、こういったフラフラと歩いているランナーが多かった。 下っていると、いつの間にか小雨が降ってきた。天気予報では雨が降るとはなっていなかったと思ったが、確認したのはもちろんスタート前なので、今朝になって予報が変わっていたのかな?石畳が雨で濡れると、足元が滑りやすそうで怖い。早く石畳を抜け出さないと、と気持ちは焦るが、乾いていても滑りそうなので冷静に石畳は歩き、砂利道を走ってようやく峠道を抜け出して一般道に出た。もう残りは5kmを切っている。ゆるやかな下り坂が続き、勢いよく走って行った。前方には250km・140km・70kmのランナーが入り乱れて走っているが、気持ちよく抜かしながら走れた。さすがに膝にもダメージが溜まってきて、雨も強くなってきたので、一旦立ち止まった。ストレッチしながら、リュックのサイドポケットに入れていた財布と携帯電話をビニールに入れてリュックの奥の方にしまって雨対策も完了し、いよいよラストスパート! 立ち止まっている間に抜かれたランナーも抜き返し、もうゴールまで抜かれることはないと思っていたら、後ろから足音がせまってきた。70kmのランナーかと思ったら250kmのランナーだったのでビックリ。途中では、70km・140kmのランナーに抜かれるのはしょうがないと思っていたが、この時は気持ちも変わっていた。250kmのランナーに抜かれるのは仕方がないと。逆に、70km・140kmのランナーには負けたくなかった。途中で接点のなかったランナーでも、同じ250kmを走った仲間同士、仲間意識が芽生えたのだろうか? タイムを計っていたわけではなかったが、おそらく全体のラップで比べてみると、今が1番早いのではないだろうか。体感で1kmを6分ぐらいで走っていると感じられた。ゴールの瑠璃光寺へ向かうT字路に立って誘導しているスタッフの姿が見えると、さらに加速!右折して瑠璃光寺が見えてくる。道路脇にはゴールしたランナーやスタッフ、仲間のゴールを待っている応援の方々が雨の中立っていて声援を送ってくれる。前後にランナーの姿が見えないので、さながらビクトリーロードを走っているようで気持ちよかった。そして、ついにゴール!!!
  • D.フィニッシュ後
  • スタッフにチェックシートを見せて確認してもらい、完踏賞の萩往還道標のレプリカ(もらってからしばらくは、形の意味も分からなかった)と記録証をもらった。 記録は、45時間56分41秒。単純に平均すると、1km11分以上かかっている。走っていた時間と歩いていた時間、どちらが長かったのか自分でも分からないが、そんなことはどうでもいい。制限時間内にゴールできた、ということが重要なのだから。 雨が強くなる中、宗頭文化センターから送った荷物を受け取り、着替えに戻ろうかと思ったが、途中でたまらずビールを買った。誰かと乾杯したかったが、寂しく1人で乾杯。ゴールできるかどうか分からなかったので(1日でリタイアする可能性もあったので)懇親会はもちろん、宿も予約していなかったので、ビールを飲みながら電車を調べていると、何とか今日中に帰れそうだ。せっかく山口まで来たのだから観光もしたいところだが、泊まったところで、どうせ明日は爆睡だろうから帰れるなら帰った方がいいだろうと判断。飲み終わって荷物置場に戻る途中、途中一緒に走った背の低いランナーがゴールするところだったので声援を送った。 着替え終わって駅に向かおうとしたが、雨が降る中重い荷物を持って歩く気がしなくて、タクシーに乗った。ちょうど、途中一緒に走ったノッポのランナーがゴールするところだった。声を掛けられなくて残念。 山口駅で帰りの新幹線の指定席券を買おうとしたら、満席との事。東京まで立ちっ放しなんてとても考えられなかったので、グリーン券を購入。予定外の出費だったが、まあ今回は自分へのご褒美。たまにはグリーン車に乗るのもいいだろう。 ビールを買って在来線で新山口駅へ。ビールを飲んでいたら、かなり眠くなってきた。新山口駅に着き、弁当とビールを買ってホームで新幹線を待っている時に、レースの結果報告の書き込み。 『無事にゴールしました! タイムは45時間56分41秒でしたが、制限時間の48時間以内だったらどうでもよかったです。ただ、タイム云々ではなく、ラスト2キロぐらいからはゴールできるという気持ちの高ぶりから体感で1キロ6分ペースに、さらにゴール直前の応援に嬉しくなり体感で1キロ5分30秒ぐらいのペースで走れたのは自分でも驚きでした。 詳細は改めて報告します。コメントいただいた、鈍足ラビットさん・マイペースさん・ぱた。さん、ありがとうございました!』  新幹線に乗り、ビールを飲みながら弁当を食べ終わると、2本買ったビールを1本残し、いつしか眠りについていた・・・。
  • E.最後に・・・
  •  改めて、今回ゴールできた要因を考えてみると、1番はやっぱり何度も苦しい時はあったが、『絶対に制限時間内にゴールする』という気持ちを切らさなかったことだろう。そして2番目は、色々なランナーとふれあえたこと。1人だったら、どこかで気持ちがめげてしまっていただろう。そして3番目がタバコを吸ったこと。タバコを吸うこと自体は、自分で言うのもなんだが身体によくないとは分かっているが、タバコを吸ってリラックスできたことは、間違いなくプラスになった。エンジョイランナーとしては、苦しい時には無理をせず、好きなもの(ビール&タバコ)を我慢せず、楽しく走ることがゴールへの近道!  後で確認したところによると、今年の250kmの部は、エントリー366名、出走者345名、完踏者217名(完走率62.9%)の中、私は45時間56分41秒で138位だったようだ。トップは26時間37分07秒だったようで、私より20時間以上早くゴールしていた・・・?  この完踏記を書いたのは失敗だったかも。スタートが18時の為、半分近くが夜間で景色を楽しめないレース。ゴール後、いや、それ以前にレース中から、ゴールできてもできなくても2度とこのレースに参加はしないと思っていた。ところが、日が経ってこの完踏記を書いているうちに、また来年も挑戦してみようかという気持ちになってきている。これが萩往還の魅力、1度走ったら病み付きになる、という事なのだろうか!?

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