私の古寺巡礼
2013年1月〜2013年12月
16)2013年11月4日(月)
百寺巡礼(その16) 天気:雨模様
- 66番・勝常寺(会津若松市、福島県)
- 11月3日に「湯のまち飯坂・茂庭っ湖マラソン大会」に参加した翌日に、土門拳が東北第一の古刹と述べた
勝常寺を訪れる事にした。なんと言っても国宝の薬師如来坐像が有名である。
- 会津若松駅発8:30のバスに乗る必要があったので、福島駅近くのホテルを朝5:20にチェックアウト。
外はまだ真っ暗で雨模様で寒い。
- 福島5:47発の普通電車に乗り込む。郡山で会津若松行きに乗り換え、会津若松には8:08到着。
外はずっと雨で景色を楽しむ事が出来なかった。磐梯山も拝めず。
- ロッカーに大きな荷物を預け、バス乗り場に急ぐ。ところが、切符売り場のおばちゃんより、8:30発のバスは
土、日、祝日は運休と冷たいお言葉!始発は何と9:40の由。なんちゅうこっちゃ!1時間以上待たねばならない。
折角早起きして来たのに!外は冷たい雨が降っていたので待合室で待たざるを得なかった。
- 何はともあれ、9:40発のバスが到着して乗り込んだが、乗客は小生のみ!これじゃ8:30発のバスは運休になるはずだと納得。
- バスは市街を出ると田園地帯に入った。20分位で「佐野」バス停に到着。
- 小雨の降る中、田園地帯の真っ直ぐな道を進むと15分位で集落に辿り着く。どの家も農家らしいが、大きく立派な建物で
あった。米所で裕福なのであろうか?
- 更に進むと、集落の中に寺らしき建物が見えて来た。間もなく勝常寺の山門が現れる。入口には国宝指定記念
の石柱が建っていた。
- 山門の両側には仁王が立ち、大きな草履が飾られていた。山門をくぐると正面に薬師堂が現れる。
- 拝観には事前に電話が必要とガイドブックに書いてあったので、寺に事前に朝10時頃到着と伝えておいた。(実際の到着は10:15頃)
- 薬師堂では住職が小生の到着を待っていたようだ。拝観料¥500を払って薬師堂内へ。
拝観者は小生のみ。住職が自ら案内してくれると言う。
- 薬師堂内は真っ暗で何も見えない。漏電防止の為、電気を引いて無いとの事。もちろん蝋燭等も
置かれていなかった。
- 目が慣れてくると、ボンヤリと正面の大きな厨子が見えて来た。しかし本尊の薬師如来坐像は
布のカーテンで閉ざされていた。
- 住職が紐を引くとカーテンが両側に開かれて大きな本尊が姿を現した。しかし薄暗くて詳細が全く
見えなかった。
- 説明の時に、住職が恐れ多くもと言いつつ、小さな懐中電灯を本尊に照らしてくれたので詳細が分かった。
- その後、自分自身で間近から本尊を懐中電灯で照らしながら拝観できた。本尊の高さは1.4mあまりで
あるが、厨子の高さが高いので、見上げるほどの大きさに見えた。顎が少し突き出て金箔が剥がれて黒光りの顔をした、
立派な薬師如来様でした。
- 本尊の両脇にあった日光、月光菩薩は現在収蔵庫に安置されている由。
- 本尊の前面の須弥壇には十二神将が並び、左奥には開祖と言われる徳一上人の古びた木像があった。
木像の顔には寺に攻め入った伊達の兵による刀傷の跡らしき割れ目があった。住職によると単なる木の割れ目ではないかとの
話であったが・・・。
- 薬師堂を後に収蔵庫へ案内される。収蔵庫には鍵が掛けられていた。住職が鍵を開けて中に入る。
- 収蔵庫内には日光、月光菩薩を中心に観音像、地蔵菩薩像、四天王像等が安置されており、じっくりと
各々を鑑賞した。
- 日光、月光菩薩は正面から見るとスマートに見えたが、住職のアドバイスで横から見ると、
何故か下半身が下膨れのスタイルとなっていた。この二つの像も国宝の由。
- 会津盆地のど真ん中の田園地帯に、何故こんな立派な仏像がある寺があるのか不思議に感じた。
- 土門拳説は本尊は京都から日本海経由で川を遡って運ばれて来たのではないかと述べているが、
住職によると、使われている木の種類から判断して、京の仏師が現地で制作したのではないかとの
事であった。
- 何はともあれ、参拝者は小生のみで、短い間であったが、じっくりと仏像を静かに鑑賞出来て至福の時を過ごすことが
出来た。
- 因みに、参拝者がいない場合は、薬師堂、収蔵庫共に鍵が掛けられ、勝手に入れなくなっているようだ。
- 時計を見ると11:00少し前、会津若松に戻るバスは11:13。大急ぎでバス停に引き返す。
石碑
山門
薬師堂
薬師堂
薬師堂
仁王
ワラジ
収蔵庫
- 七日町駅で降りて、会津若松市内を歩いて散策する事にする。
- まずは、七日町駅のすぐ側にある阿弥陀寺。戊辰戦争で亡くなった会津藩の戦士が埋葬されている。
- 再び雨が降り出したが、鶴ヶ城を目指す。鶴ヶ城には多くのツアー客で混み合っていた。鶴ヶ城は40年位前に
来た事があるのであるが、記憶は全く薄れている。天守閣へ登るのは¥500なり。
- 更に歩いて飯盛山へ。鶴ヶ城から結構距離があった。やっと辿り着いたら、長い石段が現れた。
きつかった。ここで白虎隊十九士の墓と彼らの自決の場所を訪れる。ここもツアー客でごった返していた。
ガイドがツアー客に対して、白虎隊の涙、涙の物語を語っていた。ガイドの話を横から聞いていて、白虎隊や赤穂浪士の話は
日本人好みで、多くの人々を感動させるストーリーだと再確認した。
- 会津若松駅に引き返し、18:30発の新宿行きのバスに乗り込んで今回の巡礼の旅は終了。
会津若松は思いのほか大きな街であった。
阿弥陀寺
戦士の墓
鶴ヶ城
十九士の墓
自決の地
さざえ堂
戸ノ口堰口(猪苗代湖からの引き水)
- 47番・円覚寺(鎌倉市、神奈川県)
- 小生が鎌倉を初めて訪れたのは、東京に就職した1970年代の半ばである。それまでは、京都、奈良の煌びやかな社寺しか
見たことがなかったので、最初の印象は、何とお粗末なんであろうと思った。しかし、何度も訪れるうちに、
鎌倉には鎌倉なりの良さがある事が分かった。それにしても、公家文化と武家文化の違いをまざまざと感じさせられる。
今回、五木寛之の百寺巡礼の文章を読み返しつつ、再度鎌倉の名刹を訪れた。
- 台風一過の青空の下、自宅を6:00に出発。東久留米の駅舎から富士山がくっきりと見えた。
- 久しぶりに東京駅から横須賀線に乗り込む。武蔵小杉にも駅が出来ていて停車。高層マンション群が
建ち並び、まだ建設中の物もある。かつて、その近郊に住んでいたため、その豹変振りに通る度に驚く。
- 北鎌倉駅には8:20頃到着。まだ早朝なので降りる客は少ない。
- 駅から歩いて数分で円覚寺の入り口に到着。円覚寺には何度も来た事があるのだが、久しく来ていない
ので記憶が薄れている。
- 境内は8:00から拝観可能だった。すでに多くの客が来ていたのには驚く。拝観料¥300は
京都の寺に比べて良心的。京都の寺は安くて¥500もするのだから。拝観料は「スイカ」でも支払いが
可能であったのには驚く。
- 古びた三門をくぐると、仏殿が現れる。中には、本尊の大きく立派な宝冠釈迦如来如来座像が鎮座する。
天井には大きな白龍が描かれていた。
- 仏殿の横には、選仏場と称する茅葺きの僧が座禅をする建物がある。
- 方丈では、ちょうど日曜説教会が開催されており、多くの信者(?)が集まっていた。
- 境内の一番奥に有名な舎利殿があるのであるが、一般客は立ち入り禁止で拝観はままならなかった。
- 白鹿洞は、円覚寺落慶開堂の日、この洞中より一群の白鹿が現れ法会に参列したと言う言い伝えのある場所である。
- 更に奥に進むと、黄梅院という夢想国師が開いたという寺に辿り着く。
- 仏殿右手の「国宝・洪鐘」と言う案内板を辿って行くと、長い石段が現れる。息を切らして上り詰めると、
そこは小高い丘となっていて、大きな鐘楼と弁天堂とお茶屋があった。そこからは遠くに富士山が望めた。
富士は残念ながら半分、雲に覆われていた。
富士山
入口
三門
仏殿
本尊
白龍
選仏場
舎利殿境内
白鹿洞
白鹿洞
黄梅院
開基廟
弁天堂
鐘楼
富士山
- 46番・建長寺(鎌倉市、神奈川県)
- 円覚寺を後にして、歩いて建長寺を目指す。暖かくて暑いくらいになって来た。
歩いている観光客の数も増えて来た。
- 寺に辿り着くと駐車場には何台もの大型バスが止まっていた。
- 総門をくぐって拝観料を払う。ここの拝観料も¥300。
- 正面に圧倒される様な立派な三門が現れる。本当にでっかく感じる。
三門の横に大きな鐘楼あり。
- 三門の先に仏殿があり、内部には大きな本尊の地蔵菩薩が安置されている。
- そのうち、はとバスの団体客が押し寄せて来て、仏殿内はごったがえした。
- 仏殿の背後が法堂。ここには、千手観音菩薩と釈迦苦行像が祀られている。
- 一番奥にある、方丈と庭園も見学可能。庭園は思った程ではなかった。
- 方丈の左側の細い道を上って行くと、半僧坊と呼ばれる奥の院へ辿り着く。
最後は急な石段が続く。半僧坊の富士見台から富士山を望むことが出来る。
更に石段を登って行くと見晴台に辿り着き、更に展望が楽しめる。富士山、丹沢
の山々、太平洋と大島が望めた。尚、半僧坊は建長寺の守護神である天狗を祀って
いる由。建長寺も何度も訪れているが、半僧坊まで行ったのは初めてであった。
- 半僧坊から先の山道は天園ハイキングコースとなるので、半僧坊までの狭い道は
思った以上に多くの参拝客とハイキング客が押し寄せていた。
- 建長寺から鎌倉駅に行く途中で、鶴岡八幡宮に立ち寄る。相変わらず多くの参拝客でごった返していた。
- 拝殿直下では、ちょうど結婚式が行われていた。多くの群衆に見守られながら結婚式をやる気分とはどんなものだろうか?
- 駅までの参道には土産物屋が並び、買い物客で溢れていた。鳩サブレの店も繁盛していた。
入口
総門
三門
三門
鐘楼
仏殿
本尊
法堂
二つの仏像
方丈
石碑
半僧坊
半僧坊
大島
富士山
鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮
- 48番・高徳院(鎌倉市、神奈川県)
- 鎌倉駅から、久しぶりに江ノ電に乗り、長谷駅で下車。
- ここから、長谷観音及び鎌倉大仏までは観光客の行列が続く。外人の団体も結構居た。
- 到着はお昼頃であったが、境内は参拝客で溢れ、ざわついて、とても落ち着いていられなかった。拝観料¥200。
- しかし、真っ青な空を背景に、大きな仏像(国宝銅造阿弥陀如来坐像)を拝観すると心が和んだ。
- 大仏の体内にも入れる(入場料¥20)のであるが、長蛇の列で諦めた。
- 裏庭に与謝野晶子の有名な句碑がある。「かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼(しやかむに)は美男におはす夏木立かな」。
晶子は阿弥陀如来を釈迦如来と間違えた由。
- 有名な寺だけに、次から次へと観光客が押し寄せていた。
- 長谷駅を越え、由比ヶ浜まで歩いて行く。多くのサーファーが波乗りをしていた。
- 時間があったので、最近人気のある新江ノ島水族館のクラゲを見に行く事にした。
- 再び江ノ電で江ノ島駅まで。場所を確認しないで行ったので、水族館は江ノ島内にあると思い、
歩いて江ノ島へ。江ノ島までの歩道も観光客で溢れていた。
- 辿り着いて確認すると、水族館は無い。何のことはない、水族館は小田急線の片瀬江ノ島駅のすぐ側
だったのだ。何事も事前に良く確認すべきですね。
- やっとの事で水族館に辿り着く。近くで湘南国際マラソンの張り紙あり。(2013年11月3日開催)
そう言えば、あたりの風景に見覚えあり、このあたりは湘南国際マラソンの折り返し点なのだ!走った時、水族館
があるなんてちっとも気がつかなかった!
- 何はともあれ、館内は親子連れ、カップルで賑わっていた。入場料¥2000は、ちと高い!
- 幾種類ものクラゲが展示されていて、彼らのゆったりとした動きを見ていると癒やされた。
- 水族館前のビーチには、ここでも無数のサーファー達が波乗りに興じていた。日本はホントに平和だ!
- 由比ヶ浜や江ノ島の海岸で多数のランナーズに出会った。海沿いを走るのもいいなと思った。
- 再び江ノ電に乗って藤沢駅に行き、本日の鎌倉巡りは終了。4万歩以上歩いてさすがに疲れた。
- 今の時期でも、鎌倉の混み具合はものすごい。紅葉の時期の休日は更に観光客で溢れていると思うので、避けた方が良さそうだと痛感した。
入口
大仏
大仏
大仏
大仏
歌碑
歌碑
由比ヶ浜
クラゲ
クラゲ
- 69番・長勝寺(弘前市、青森県)
- ホテルを6:00過ぎにチェックアウト。天気は曇りで涼しい。
- 下北駅6:29発のローカル電車に乗り込む。2両編成の車内はガラガラ。
- 1時間ほどで野辺地に到着。青森行きの電車に乗り換え青森まで。
- 青森駅から五能線経由で秋田行きのリゾートしらかみ号に乗り込む。この列車は快速だが全車指定席。運良く
車内で指定席を買えた。モダンで快適な車両で弘前までの30分間リッチな気分を味わう。
終点の秋田までこのまま行きたくなった。
- 何はともあれ、9:00頃弘前駅に到着。生憎外は雨模様。
- 観光案内所に飛び込み、長勝寺までの道のりを尋ねる。お姉さんが地図とバスの路線図の
パンフレットをくれた。ちょうど9:15分発の市内循環バスがある由。
- 出発時はお客はたった2名。途中からお年寄りが数名乗り込んで来る。
彼女たちの純粋な津軽弁のおしゃべりに耳を傾ける。ローカル色豊かで津軽にやって来たと言う感じ。
- 茂森町と言うバス停で下車。寺への道が複雑で少々まごつく。
- やっとのことで禅林街と言う通りを発見。この禅林街の突き当たりが長勝寺。
- 津軽藩主が曹洞宗の33寺院を禅林街の一カ所にまとめたとの事で、通りの両側には立派な寺院が
立ち並んでいた。
- 津軽藩主の菩提寺である長勝寺には10:00前に到着。立派な三門をくぐると正面に本堂が現れる。
- 本堂の右側にある茅葺きの庫裏に拝観の受付があった。
- 受付には誰もおらず鈴を鳴らすと、おばさんが現れてきた。拝観料¥300を払うと
おばさんが本堂及び境内の説明をしてくれると言う。他には拝観者はおらずマンツーマンの
説明となった。
- 庫裏は青森で最古の建物の由。本堂も長年かけての改修が終わったばかりとの事。
- 薄暗い本堂内には釈迦三尊像が安置されていたが、暗くて遠くて詳細が見えなかった。
- 境内に出ると庫裏の向かいに蒼龍窟(旧禅堂)と言う建物がある。中には廃仏毀釈の時に
岩木山の麓にあったお寺から移築されたお堂の一部と仏像が安置されていた。その周りには五百羅漢など多くの
仏像もあった。
- 境内の鐘楼も青森最古の物との事。
- 境内の奥には津軽家の歴代藩主と妻の立派な御霊屋及び墓があり厳かな雰囲気に包まれていた。
- よどみなく行われたマンツーマンの説明は20分近くも続いた。
- 立派な三門をバックに吉永小百合によるJRのコマーシャル撮影も行われた由。
- ひょっとして、あの丁寧に説明をしてくれた女性は、だい黒さま(住職の奥様)だったのかしらん?
- 長勝寺を後、にもう一つの曹洞宗以外の寺が集まっている新寺町寺院街を目指す。
- この寺院街の外れに袋宮寺と言う寺があり、6m近くもある大きな十一面観世音立像(県重宝)が安置されていた。
その大きさに圧倒された。無人の小さな寺で自由に拝観できる。
- その近くの最勝院には、東北一の美塔と言われる五重塔がある。
- それから弘前城を目指して歩き始めたが、方向を間違えて弘前城に辿り着くのに時間が掛かった。
- 弘前城の天主は小さくミニチュアの様であった。曇っていて天守閣からの眺めは今一。
- 弘前城公園内は桜の木が多く桜の花の季節はすばらしいと思われた。
- 岩木山が望めると思われる展望台には観光望遠鏡が設置されていたが、曇りで残念ながら
岩木山の姿は望めなかった。
- 次いで弘前城の近くにある「津軽藩ねぷた村」へ行く。入場料¥500。
弘前ねぷたに関する資料が展示されていた。
- ここで、係員の説明により、ねぷたにも地域によりねぷた飾りの形に差異があることを初めて知った。
- 津軽三味線の生演奏もあり、初めてライブを経験した。ここで土産に地酒と津軽せんべいを購入。
- 弘前市は洋館でも有名であるが、朝から歩き通しで疲れてきた。
- 最後に日本キリスト教団弘前教会を見学した。モダンで立派な建物でした。
- 弘前駅を目指して歩き始める頃に雨模様となってきた。
- 弘前17:28発のローカル電車で青森駅に引き返す。青森には18:10到着。
- 青森では、昔の青函連絡船乗り場に連絡船の八甲田丸が展示されていた。
時間的に中には入れなかったが、40年前に北海道に渡るときに青函連絡船に乗ったので、
夕闇迫る津軽海峡の景色と共に非常に懐かしく感傷的になった。
- そばには「津軽海峡冬景色」の歌碑があった。
- 東京行きの夜行バスは21:00発なのでその前に腹ごしらえ。
- 駅前で八戸に本部を置く居酒屋に入った。魚類が新鮮で八戸産のシメサバと地酒の
組み合わせが絶品でありました。応対するお姉ちゃんの津軽なまりも中々良かった。
- 良い気持ちで夜行バスに乗り込みました。
- 帰りのバスも空いてて良かったが、やはり熟睡は出来ませんでした。
- 東京日本橋口には翌朝の6時20分に到着。やはり疲れました!
リゾートしらかみ号
禅林街
長勝寺入り口
三門
本堂
庫裏
蒼龍窟
鐘楼
千体地蔵
御霊屋
十一面観音
袋宮寺
五重塔
弘前城
ねぷた館
弘前ねぷた飾り
飾り
リンゴ
弘前教会
八甲田丸
八甲田丸
津軽海峡
歌碑
- 70番・恐山(むつ市、青森県)
- 日曜日の夜、自宅を20:30出発。東京八重洲口のバス乗り場に22:00前に到着。
バス乗り場は乗客で混み合っていた。
- 22:30発の青森行き高速バスに乗り込む。乗客は15名程度で空席がたくさんありゆったり
な感じ。
- バスは青森駅に着くまで一歩も外に出る事は出来なかった。青森駅にはほぼ予定通り翌朝8:00に到着。
青森駅は実に40年振り。でも全く記憶にない。
- 大湊行きの電車は9:22発で時間があったので、駅前の牛丼屋で朝定食。
- 9:22発の青い森鉄道の電車は快速で2両編成。ほぼ満席。野辺地から進行方向が逆になった。
- 下北半島に入ると北海道の原野を思わせる景色が続いた。途中で陸奥湾が見えた。
- 途中、陸奥横浜駅と言う駅に停車。横浜と何か関係があるのだろうか?
- 下北駅には10:52着。
- 恐山行きのバスは11:00発。7月20日から24日までは恐山の大祭典なので、下北駅の
降車客のほとんどがバスに乗り込む。この期間は臨時のバスも運行される由。
- 途中の「冷水」と言うバス停で降車客はいないのに臨時停車。ここでは冷水と言う清水が湧き出ており、
一口飲むと10年、二口飲むと20年、三口飲むとずっと生きると言う言い伝えがある由。お客が先を争って水を飲んでいる中、
小生は一口だけ飲みました!
- 40分くらいで恐山に到着。宇曽利山湖が見えると硫黄の臭いがした。
- 駐車場には多くの車が止まっていた。
- 入山料¥500を払ってお山に入る。
- 入ってすぐ左手に「イタコ口寄せ」の看板が立ち、二つの小さなテントでイタコによる口寄せが行われていた。
それぞれに順番を待つ数十人の行列が出来ていた。
- 山門を超えた左側にある本堂には地蔵尊が祀られ、中には、お供え物と共に数多くの遺影、遺品が置かれており
異様な雰囲気がしたが、死者の霊が恐山に集まると言う信仰の深さも感じた。
- 正面の大きな地蔵堂にも立派な地蔵尊が鎮座していた。堂内では白装束をまとった多くの女性信者がお参りしていた。
- いよいよ霊場巡りとなる。まず石の階段を上って奥の院不動明王を目指す。
- 辿り着いたところに大きな石の不動明王が祀られていた。
- ちょうど地元の人々がお参りして多くのお供え物を差し上げているところであった。
- 彼らは参拝者にお接待をしているところであった。小生もスイカ、天ぷら入りのソーメン、
赤飯、チキンから揚げ等色々と勧められ予想外のご馳走になってしまった。
- この後は地獄谷巡りとなる。荒涼とした景色が続き、あちこちで噴煙があがって硫黄くさい臭いがした。
- あちこちに石仏があり、お供え物と風車が置かれてあった。因みに風車は売店で¥400なり。
- 宇曽利山湖に面した真っ白な砂の極楽浜からの眺めは神秘的であった。浜辺には死者の霊を慰めるべく多くの花とお供え物が置かれていた。
- 宇曽利山湖の水も透明でブルーできれいだった。
- 入り口に戻ると相変わらず多くの人たちがイタコの口寄せの順番を待っていた。
- 最後に宇曽利山湖から流れ出る三途の川に掛かる赤い橋を渡りに行った。
- 赤い橋から眺める宇曽利山湖の景色も中々神秘的であった。
- 15:00発の下北行きのバスに乗り込んで下北駅に引き返した。
- 今夜の宿は下北駅のすぐそばのホテル。
- 近場のスーパーで地酒を購入。ホテルでじっくり味わってお休みなさーい!
青森駅
冷水
入り口
六地蔵
イタコ
イタコ
山門
本堂
地蔵堂
奥の院
地獄谷
地獄谷
地獄谷
地獄谷
地獄谷
地蔵堂
極楽浜
極楽浜
極楽浜
三途の川
宇曽利山湖
下北駅
- 55番・観心寺(河内長野市、大阪府)
- 毎年4月17日と18日は本尊・如意輪観音菩薩のご開帳日である。
今回ご開帳日に合わせて寺を訪れる事にした。
- 大阪難波から再び南海電車の高野線に乗って河内長野駅で下車。
- 駅前から10時15分発の南海バスに乗る。本尊ご開帳日とあって
バスは観心寺を訪れる客で混み合った。
- 10分余りで観心寺のバス停に到着。みんな歩いて観心寺を目指す。
- ご開帳日なので特別拝観料(¥700)を払った後、石段を登って金堂を目指す。
- 参道は参拝客で混み合っていた。地元の人達による
出店も多くあった。
- ご本尊のある金堂に入ると、丁度、僧侶によるご本尊の説明が行われている所であった。
- 驚いた事に、本堂内は参拝客でひしめき合っていた。後ろからでは人の頭が
邪魔になってご本尊の姿がよく見えない状態。
- やっとの事で本尊の姿の見える場所を確保。でも距離が遠い。持参した
コンパクト双眼鏡が役立った。
- 色彩豊かで女性的な顔立ちの観音様はとても魅力的であった。
- 僧侶の説明が終わった後で客が移動を始めたので、前に移動して本尊の近くで姿を
拝観する事が出来た。
- この寺は楠木正成とも縁があり、境内に楠木正成首塚がある。
- 行者堂には観心寺の前身である雲心寺を開いたと言われる役行者の像が
安置されている。
- 霊宝館には多数の仏像が展示されていた。
- 最後にもう一度ご本尊に対峙。ご開帳日なので次々と参拝客が押し寄せて相変わらず本堂は混み合っていた。
- 次の弘川寺を目指すためにバスで河内長野駅まで引き返した。
参道
金堂
建掛堂
開山堂
首塚
行者堂
- 56番・弘川寺(南河内郡、大阪府)
- 河内長野駅から近鉄線に乗って富田林駅で下車。ここはPL教団の本部のある所。
PL教団の特異な形をした高い塔を見ることが出来る。
- 13:05発の金剛バスに乗り葛城山麓の河内行きのバスに乗り込む。
- 観心寺行きのバスとは対照的に乗客は数名のみ。
- 山の懐のような所にある河内の集落に20分程で到着。寺はバス停から
歩いて数分程上った所にあった。
- 訪問時は他に一組の参拝客がいたのみ。境内は静寂に包まれていた。
- 弘川寺は西行終焉の地として有名である。
- 寺の本坊の奥に西行記念館があり、西行に関する様々な資料文献が展示されている。
(入館料¥500)
- 本堂には本尊として薬師如来が祭られている。本堂には自由に入って良いとの事であったので、
誰も居ない本堂で唯一人静かに近場から薬師様とご対面出来た。
- 境内から石段を登ると西行座像を祭る西行堂がある。残念ながら中は見られなかった。
- 更に上に登ると広場があり、そこには西行法師を葬る西行墳があった。
- 西行墳の奥は桜並木が続いている。残念ながら桜の季節は終わっていたが、まだ一部桜の花が
残っていた。
- 何はともあれ、俗世間を離れ、しばしの間、のんびりと静寂の時を過ごすことが出来た。
- 富田林行きのバスは14:00台は無し。15:00発のバスに乗り込んだが
乗客は小生を含め2名のみだった。
- 次は本日最後の大念佛寺を目指す。
看板
本堂
護摩堂
本坊
西行記念館
本尊
本尊
西行堂
西行墳
西行墳
残り桜
- 第59番・大念佛寺(大阪市)
- 近鉄で阿倍野まで戻り、JR関西線に乗り換え平野駅で下車。時刻はもう16:00を過ぎていた。
- 駅から歩いて5分ほどで大念佛寺に辿り着いた。
- 大念佛寺は融通念佛宗の寺で、平安時代後期の良忍という僧が開いたと言われる。
- 山門をくぐると広い境内の正面に大きな本堂が建っていた。本堂は、大阪府下最大の木造建築との事。本堂は丁度改修中
の様であった。もう夕方なので、境内には誰もおらず、本堂も閉まったままであった。
- 何はともあれ境内を散策。地蔵堂、観音堂などの建物あり。
- 山門をくぐってすぐ右側にある経蔵の中に宗祖の良忍の立像が安置されており
ガラス越しにお姿を拝む事が出来た。
- 1時間ほど寺に滞在した後、JR平野駅に戻り今夜の夜行バスの出る大阪駅を
目指した。
看板
石柱
山門
本堂
本堂
経蔵
経蔵
本堂近景
万部おねり看板
- 大阪駅発の夜行バスは21:50なので、時間がたっぷりある。通天閣のある新世界
に行って名物の串カツを食べる事にした。
- 地下鉄御堂筋線で動物園前で下車。地上に上がると、そこは新世界。飲み屋が建ち並ぶ。
特に、大小の串カツ屋が乱立しているのに驚いた。
- 予想以上に客足が少ない。客を呼び込んでいるが、ほとんどの店がガラガラの状態。
世の中まだ不景気!新世界の通りも人通りは少なく、大阪は東京よりもっと不景気だと感じた。
- 店がたくさんあってどこに入っていいのか解らない。結局ガイドブックにあった元祖
串かつ「だるま」へ行く事に。店は通天閣の真下にあった。有名な店とあって、ここだけは行列が
出来ていた。でも一人だったので直ぐに座れた。店内は満員で活気があった。
- すぐ隣で、おばちゃんが一人でウーロン茶片手に串カツをほおばっていた!
- 小生は瓶ビールと大阪名物「どて焼き」、それと串カツのセットメニューを注文。串カツは1本原則¥105なり。
- ソースは2度漬け厳禁!ビールを空けた後、熱燗2合を追加して大阪の串カツをソース漬けで堪能しました。
- お陰で大阪駅に戻って21:50発の夜行バスに良い気持ちで乗り込みました!
- 番外・丹生都比売(にうつひめ)神社(和歌山県伊都郡かつらぎ町)
- この日は、友人の車にて高野山を目指す事となった。高野山に行く前に、世界遺産の神社がある
との事で、丹生都比売(にうつひめ)神社を訪れた。
- 神社の創建されたのは、今から千七百年前の事と伝えられている由。
- 高野山近くに鎮座し、高野山と関係の深い神社であるとの事。
- 入口から望む朱色の鮮やかな太鼓橋が印象的であった。本殿も古さを感じさせる
建物であった。
- 平成十六年七月「紀伊山地の霊場と参詣道」の丹生都比売神社境内として世界遺産へ登録された由。
- 神社に行く途中で、高野山の地酒「高野山般若湯」の販売店を見つけた。
立ち寄って試飲すると共に、4合瓶を土産に購入した。
- そして次なる目的地の高野山を車にて目指す。
鳥居
橋
本殿
- 51番・高野山(和歌山県)
- まず金剛峯寺へ。平日にも拘わらず、金剛峯寺前の広い駐車場は満杯であった。
- 山門をくぐり拝観料を払って主殿、別殿を見学。
- 大広間(新別殿)でお茶と煎餅の接待があった。僧侶による講話も行われていた。
ここには入れ替わり立ち替わり団体客が押し寄せていた。
- 説明によると、全国に真言宗の寺は4,000余り。SFとハワイにも寺がある由。
- 次いで、壇上伽藍へ。朱色の根本大塔はとてつもなくでっかく立派だった。
- 昼食を食べた後で奥の院を目指す。奥の院に続く道の両側には大小様々の墓石が
建ち並び一種異様な雰囲気である。
- 御廟橋から先は神聖な場所とされ、脱帽、写真撮影禁止との事。
- 弘法大師御廟は大師信仰の中心聖地とされており、大師は生き続けていると信じられているとの事。
- 御廟からの帰り、織田信長供養塔に立ち寄った。奥の院に至る道中でも、説明員に伴われた
何組もの団体客に出会った。
- 高野山が世界遺産に指定されて以降、外人客が増えたと聞いた。確かにあちこちで外人の姿を見かけた。
- 友人に高野山駅まで車で送ってもらい、一人でケーブルカー、南海電車、近鉄電車を乗り継ぎ、
宿泊地の大阪上本町のホテルに20:00前にやっと到着した。
石柱
金剛峯寺表門
主殿
主殿
庭園
壇上伽藍
根本大塔
奥の院への道
御廟橋
信長墓
- 81番・三千院(京都市)
- 4月14日(日)所沢駅22:15発の夜行バスに乗り込む。日曜日の夜なのにバスは予想以上に混んでほぼ満席。
- 翌朝の朝、予定通り6:17に京都駅に到着した。駅近くの牛丼屋で朝食。
- 7:33発の京都バスの大原行きの始発に乗り込む。早朝なので乗客は少ない。
- 1時間余りで終点の大原に到着。歩いて三千院を目指す。三千院は学生時代と
社会人になってから訪れた事があり、今回は3回目であるが、寺までの参道の景色は
全く記憶にない。
- 大きな御殿門をくぐり境内にはいると、シャクナゲの花がきれいに咲いていた。
- 宸殿から眺める往生極楽院は写真で有名である。
- 往生極楽院内には金色に輝く大きな阿弥陀如来(身の丈2.3m)が鎮座し、両脇を観世音菩薩、勢至菩薩が
固めていらっしゃる。両菩薩は、前屈みの「大和座り」の恰好をしている。
- 往生極楽院の前面の境内は苔が美しい。苔生した小さなわらべ地蔵が何体か置かれていた。
- 少し高台にある金色不動堂では、丁度、秘仏の金色不動明王像がご開帳されていた。
- 今回は早朝であったので、参拝客もまだ少なく、静かな三千院を楽しむことが出来た。
- 寂光院に向かう頃には、三千院に向かって次々と参拝客が上って来ていた。
山門
シャクナゲ
精浄水
往生極楽院
往生極楽院
阿弥陀三尊像
金色不動堂
わらべ地蔵
朱雀門
- 番外・来迎院(京都市)
- 三千院を後にして、呂川沿いにしばらく上って行くと来迎院に辿り着く。
- ここは本尊として薬師如来、釈迦如来、弥陀如来の三尊が奉られている。
- 平安期の作とされ、本体は黒ずんで古さを感じさせられた。
- 小生の他に誰も訪れていなく、静かな時を過ごす事が出来た。
- ここから更に山道を登って行くと、「音無しの滝」と言う小さな滝にたどり着く。
山門
本堂
本尊
御廟
音無の滝
- 番外・寂光院(京都市)
- 「音無しの滝」から大原のバス停まで戻り、寂光院を目指す事とする。
- 寂光院への道端には菜の花が咲き、のどかな田舎の風景が続く。
- 寺の受付で、大原女姿の女性から、大原名物の「しば漬け」の無料配布があり
ありがたく頂いた。
- 寂光院は天台宗の尼寺で、本尊は六万体地蔵尊であるが、旧本尊は
2000年の放火により損傷し、復元された真新しく色鮮やかな本尊が安置されている。
- 寺は平清盛の娘、建礼門院が閉居した場所として有名である。
- 今年は建礼門院が没してちょうど800年になる由。
- 本堂では年配の女性による寺の起源等の簡単な説明が行われていた。
- 収蔵庫では旧本尊と建礼門院ご持佛「普賢延命菩薩像」が特別公開されていた。
旧本尊は痛々しくも黒焦げとなっていた。
大原の里
山門
本堂
庭園
収蔵庫
大原西陵
- 寂光院の横にある建礼門院徳子大原西陵を訪れた後、大原のバス停まで
引き返す。寂光院を目指す多くの人々と行き違った。
- バスで京都駅まで引き返すと昼過ぎであった。
- 明日は高野山を訪問予定。今夜の宿泊先は、友人の住む高野山の麓、南海電鉄高野線
の林間田園都市駅前のマンションを目指す。
- 林間田園都市駅前は正に何もない林間の駅(スーパーとマンションと住宅の他は田圃と山!)であった。
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