会員の完走文/エッセイ集
2002年サロマウルトラマラソン完走記
第17回サロマ湖100Kウルトラマラソン
日時 2002年6月30日(日)
場所 北海道サロマ湖周辺
天候 晴 : 最高気温 27.9度
参加 菊池夫妻、藤原、藤盛、山口、松永
6月29日(土)
- AM11:00 羽田空港に松永、山口、菊池夫妻と関空から和歌山にいる藤原の計5名が集合。
今年の一番の違いは旅行会社のマラソンツアーを組まず、同行する山口氏の手配による明走会JAPANオリジナルツアーを組んで臨んだ事だ。団体ツアーによる時間や行動の制約がなく、終始余裕のある有意義な時間をメンバーと共有出来た。それに安かった!
- PM 1:30 女満別空港に到着し、梅雨空の東京はどこえやら、カラッと晴れ渡った太陽がまぶしくかなり暑い。お昼にわっぱめしを空港内で食べ、山口さんの予約していたレンタカーに乗って受付会場のある湧別町に向かう。女満別から網走に北上し西に進路を変え、常呂町からは明日のコースを逆走するようにじっくり見ながら行く。意外と登りと下りがあることを実感するようにコースを真剣に見つめる松永氏と藤原氏は今回初参加であり初100KMでもある。(藤盛、菊池は昨年に続き2回目の参加)自身昨年完走しているとはいえ、思うように走れず地獄を見たこのコースは思い出深いというより見るだけで胸が締めつけられるような気持ちになってくる。
- PM 4:00 湧別町体育館に到着すると昨晩より夜行列車を乗り継いで来られた藤盛氏が我々の到着を待っていてくれた。受付を済ますとホテルのある紋別に向かった。
- PM6:30 レース前夜ということで夕食はみんなでホテル内の「かに屋」というところで明日の完走を祈りながら名物のかにを肴に一杯。初参加の松永さん、藤原さんはじめみんな緊張している感じもなくいつもと同じように飲まれていました。多少控えめに飲まれていたとはいえ「大雪の蔵」という冷酒は3本空いていました。このあと若干名の方は部屋に戻られて続きをやられていたようです。自身は弱いので禁酒、代わりにワイフに飲んでもらいました。まあ、レース前はリラックス出来る事が一番なのではないでしょうか?
6月30日(日)
- AM2:20 起床。セブンイレブンで買っておいたおにぎりを食べながら出発の準備をする。ちょっと迷っていたウェアーとシューズの選択を今朝の感覚で決めてロビーに向かう。
- AM3:20 藤原さん、山口さんとすでに降りている。藤盛さんも定刻通りやって来た。しかし時間になっても松永さんが来ない。万一を察して藤原さんがあわてて部屋に呼びに行ったのだが、反応がおかしいと帰ってきた。えっ、どういうこと?夕べの酒が効き過ぎたんじゃ、と冗談を言ってるとダッシュで松永さんが笑いながらやって来た。目覚ましが狂っていて鳴らなかったそうだ。良かった、何もなくて。逆にみんなの気分を和らげる空気を松永さんが作ってしまった。いい感じでスタート地点に車を走らせる。
- AM5:00 スタート前のゆったりとした時間のまま号砲が鳴り、各選手マイペースでスタートを切った。気温17℃と風が冷たく寒いくらいだが今年もこれから暑くなりそうだ。
- AM6:30 竜宮台折り返し付近(15K)。先頭グループから最後尾のランナーまですれ違うポイントで仲間を見つけるとお互い声を掛け合って行く。
- AM7:00 20`過ぎあたりで応援の山口さん、菊池夫人の1回目の応援。まだまだ元気なだけに余裕の表情をカメラに向ける。このあと35`あたりまではサロマ湖から離れてしばらく単調な田園地帯を走る。日差しもいっそう強くなってきて、徐々に疲れも出てくるのもこの頃からだろうか。
- AM9:00 スタートの5時から4時間が経過。フルマラソンならもう終わっている時間だが100`の場合まだまだ序盤という気持ちになっていないといけないがその時の体調によるところが大きい。自身のことを言えば、昨年はもうすでに脚にきていてほぼ終わっている状態だった。今年は気温が幾分低いこともありまだ余裕を残している。
- AM10:00 54`過ぎの大休憩所地点の緑館前にて応援部隊と暫し冷たい飲み物をもらって休息を取る。菊池、藤原、藤盛、松永とみんな無事到着する。着替えやシューズを履き替える者、ストレッチ、マッサージやアイシングをする者、そしておにぎりなどで食料補給をする者とこれからの中盤から後半に向けて仕切り直しをしている。(中にはこの緑館を素通りしていく強者も何人かいる。)ここを出ると幌岩山の長い登り坂から始まり58`付近まで続く。
- エイド(給水所)に関しては十分な水分とフルーツ、梅干、おにぎりなどが5`毎に用意され、2.5`毎にはバケツに氷水と柄杓が置いてあるのでエイドの度に頭から水をかけながら水、スポーツドリンク、ジュースを何杯も摂りながら走る。しかしペースの落ちるこの中盤はエイドからエイドまでが異常に長く感じられてくる。
- 60`過ぎから70キロの浜佐呂間を抜ける道は国道から一時離れ、人里も少ないコースなので自分との孤独な戦いを強いられるところでもある。途中、木々が数`の間日陰を作っている「魔女の森」と呼ばれる静寂な幻想的な気分にさせられるところもある。
- PM0:00 スタートから7時間が経過。遠く湖の向こうにオホーツク海を隔てる細長い陸地が見えてくる。あそこが80`以降走ることになるワッカであるがそのあまりの遠さに愕然とするところでもある。しかし北海道の広大な大自然の中にいるちっぽけな自分の存在を認め、一歩ずつ足を進めて行かなければ辿り着けないという当たり前の事を受け入れる。
- 70`から80`にかけては民家の立ち並ぶ町の中を抜けるためところどころに私設エイドが作られる。冷たいタオルと熱いお茶を振舞っていた斉藤商店のそのタイムリーなもてなしは堪らなかった。また75`地点は名物の「おしるこ」が用意されるところとして有名だがせっかくのおしるこは紙コップではなくやはりお椀で食べたかった。
- 80`手前のワッカの入口で再度我が応援団が待っていてくれ、ラスト20キロの戦いに向けてまた元気が出てくる。ワッカを目前にして思うのはやっとここまで辿り着いた区切りとしての喜びやワッカを走れる事へのうれしさ、反面完走出来るのだろうかという不安感や絶望感など人それぞれの思いや感じ方は違うだろう。だから、ワッカは天国にも地獄にも見えると言われているのだ。今回残念ながら80`の関門時間に間に合わなかった松永さん、来年も是非ともワッカを目指して下さいね。70`を通過した時点で80`は越えられないと解っていながら80`まで走りきったことにこのレースに向けてやって来た事への思いやまだわからない来年への決意もあったのではないでしょうか。本当にお疲れ様でした。
- ワッカ原生花園はこの時期数種類の花がちょうど満開を迎え、ランナーの目を楽しませてくれるのだがランナーにとってはそれどころではなく1k、1kの表示が何よりの支えになって心と身体をゴールへと前進させていく。
- 「あとどのくらいで折り返しですか?」と40半ばの女性ランナーから声をかけられる。「あと7`くらいですよ。折り返すとまもなく90`地点ですから。」「えっ、まだそんなにあるんですか」そう言って前を走り去って行く。折り返しまではゴールから遠ざかっているので一刻も早く折り返してゴールに近づきたい心境になってしまうのだ。
- PM2:30 途中で藤原さん、その後藤盛さんとすれ違い、声を掛け合ってゴールを目指す。
- そして、菊池10゜08',藤原10゜47',藤盛11゜54'でそれぞれ感動のゴールを果たした。
そのあとも常呂町民センターではPM6:00までぞくぞくと100`のゴールが続いた。
応援の山口さん、菊池夫人ゴールでもずっと待っていていただき本当にご苦労様でした。走っている方がずっと気楽でいいかも知れませんね。
藤原さんは日頃の走り込みの成果で終始安定したペースで見事に初兆戦10時間台はお見事でした。藤盛さんは激務の真っ只中、練習不足、体調不充分の中での完走はさすがでした。自身、サブ10を目前でのペースダウン、また来年に繋げたいものです。
- PM8:00 「あかちょうちん」にて打ち上げ。レースの余韻を残しながら疲れ果てた身体でおいしいお酒と特盛のお刺身で乾杯した。
7月1日(月)
- AM8:00 藤盛さんが帰りも列車での帰京で先にホテルを出発。
飛行機組は今日も山口さんの運転にて観光をしながらのんびりと過ごした。
ワッカ原生花園、網走能取岬、網走刑務所など。
- PM4::35発羽田行き 女満別を後にする。松永さん、藤原さん供機内で大宴会になっていたのは言うまでもない。みなさんお疲れ様でした。
スタート前
2001年サロマウルトラマラソン完走記
第16回サロマ湖100Kウルトラマラソン
日時 2001年6月24日(日)
場所 北海道サロマ湖周辺
天候 快晴
参加 中谷、芝崎、菊池、ミス鈴木、藤盛
今回のサロマ決死隊メンバーは、中谷さん、芝崎さん、菊池さん、藤盛とミス鈴木さんの5名である。
サロマまでは飛行機に電車、仙台から東京からと様々で、宿も3箇所に分かれたが、決死隊メンバーの
思いは完走に向け一つにまとまっていた。
6月23日(土)
- 受付を翌日の100キロスタート地点である湧別体育館で各人ですませる。
- 昼頃着いたメンバーはホタテ貝の浜焼き食べ放題にありつけ、これで昼食は十分である、到着が遅かったメンバーは前夜祭で海の幸とビールを頂戴した。
- 北見のホテルに宿を取ったメンバーは夕食で最後の乾杯を軽くして早めに床に着く。
6月24日(日)
- 朝1:45に起床して2:00より朝食、こんな時間に朝食を取るのは初めてだが、ハードな1日に向けてとにかく沢山お腹に詰め込んだ。
- 3:00北見ホテル前をツアーバスで出発、サロマは東京に比べて4度ほど東に位置するためこの時間で既にかなり明るい。バスの中から北海道の朝焼けが見られ、気分を高めてくれる。
- 4:30スタート会場に到着。北見組の中谷さん、芝崎さん、藤盛と仙台からの菊池さんが合流しスタート前の記念撮影。この頃はまだ顔も体もふっくらしている。途中でミス鈴木さんとも会え、完走を誓いスタ−ト地点へ向かう。
- 5:00いよいよ100Kのロングランをスタート。地元の方々の応援も鳴り響き、とても早朝とは思えない賑やかさである。
- 10Km: 100Kともなるとかなりゆっくりのペースだ。息はほとんど上がらないので足が持つか決め手になる。快晴の天気で気持ちがいいが、昼頃にはかなり暑さで苦しめられるだろう。
- 20Km: コースで2ヶ所ある折り返しを過ぎて、ほぼ全員のランナーとすれ違う事が出来る。先頭はゼッケン101番の昨年のチャンピオン。あのスピードで100Kとは尊敬してしまう。
- 30Km: 北海道らしい牧場地帯を走り抜ける。時折糞尿の香水を目いっぱい吸い込みながら大地を走っていると喜びが沸いてくる。この辺はまだ景色を堪能する余裕がある。
- 40Km: コースも国道に入り単調になる。一休みするランナーも目立つようになり、大分足に疲労を感じて来るのがこの辺りだ。給水所でスイカやバナナをほうばる人が多くなる。
- フル地点: サロマ湖を一望できる「月見が浜」を通過する。太陽の日を浴びて湖面が美しく光輝いており大変美しい。暫し気持ちも和むがそんな余裕を楽しんでいる状態では無くなりつつある。
- 50Km: 国道を走るコースに戻り辛い走りに戻るが、町の人たちがサービスしてくれる氷を頭に入れ黙々と走るしかない。あと5Kでレストステーション、ここからコースは一気に登りに入る。
- 55Km: 中間地点だ、高校生が自分のNo入りの袋を持ち駆け寄ってくる。水浴びやマサージも有りサービス満点である。後半に備えてホタテおにぎりを頬張り着替えをしていざ出発する。まだフル以上残ってると思うとうんざりするが、一瞬元気になったような気になるのが味噌だ。
- 60Km: 中間地点の元気が幻であった事が現実となる。腿はパンパンになり痛みと格闘しながらの走りとなる。あと40Kも残っており精神的に一番辛い走りがしばらく続く事になる。
- 70Km: コースはサロマ湖沿いに戻るがもはや景色どころではなくなる。1K毎の標識が「ナメンナヨー」と恨めしく感じる。丁度昼時になりお汁粉を頬張り一瞬気分を紛らわす。
- 80Km: いよいよ噂のワッカ原生花園に入る。オホーツク海とサロマ湖の間をお花畑が抜けており天国の様な美しさに疲れも癒されると思いきや現実はそんなに甘くなく、足の痛みは増すばかり。折り返して戻る女性ランナーに「ファイト」と声をかけられ情けないやら嬉しいやらである。
- 90Km: 原生花園の中をラスト20Kほどひた走るクライマックスはサロマの醍醐味である。苦しいながらも皆それぞれのサロマを堪能しつつ最後の元気(ここまで来ると気持ちだけで走ってる)を振り絞る。時間はもう夕刻に近づきあれほど厳しかった太陽の日差しが優しくなって来る。
- 100Km: ラスト2Kは沿道に並んだ地元の人たちの必死の応援が心にこたえる。ほんとにハッピ−な気分になりゴールテープを切る。
- ゴール地点でアイシングしていると芝崎さんが恍惚の表情でゴール、皆同じように感じながら1日奮闘していたのだとあらためて感じる。その後中谷さん、菊地さんも感激のゴールとなり、全員完走でサロマ決死隊大成功の喜びが沸いてくる。(ミス鈴木さんの完走は翌日菊地さんが朝の散歩で偶然知る事となりました)
- 記念撮影(朝の写真と比べ頬も足もやつれている)の後,完走パーティーに出席。わずか10分程遅れただけだが会場の熱気で料理は半分程度無くなっていた。あらためてサロマニアンの元気さに感服し、決死隊4人とミセス菊池さんで完走の美酒を味わった。
- 完走パーティー後、各人の宿泊場所へツアーバスで帰路につく。足はまだバリバリ痛むが、何故か心地よい痛みに変わってくる。
- その後北見組はホテルで夕食、再度完走打ち上げ2次会を行う。本当であれば部屋に戻り3次会を日本酒で仕上げる予定でいたが、そこまでの元気は残っておらず、皆部屋に戻りサロマの長い一日を思い起こしながら心地よく就寝となりました。
2001年のサロマ決死隊は5名と大盛況で、おまけに完走率47%の中、明走会JAPANは完走率100%の快挙でした。 来年も頑張りましょう !!
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