会員の完走文/エッセイ集



第10回(2010年)歴史街道丹後100kmウルトラマラソン参加記録 (加地 敬)


  • 2010年9月19日(日) 午前4時30分スタート、午後6時30分ゴール関門
  • 場所:京都府京丹後市(丹後半島)
  • ゲスト:増田明美(スポーツジャーナリスト、1984年ロス五輪女子マラソン日 本代表) 坂本雄次(マラソンコーディネーター、ランナーズ・ウエルネス代表取締役社長)
  • 天候:曇り/晴れ  平均気温:25.4℃ 最高気温29.8℃ 最低気温21.6℃
  • 記録:KAJI(47歳、178cm、81kg) 13時間46分35秒    制限時間14時間00分(100km男子) 順位568位/完走676名中/出走1,036名(完走率65.3%) 参考:100km女子 出走142名/完走94名(完走率66.2%)

    エントリーに向けて

  • 2年連続3度目の100kmの部への挑戦で、2度目の完走を目標とした。
  • 昨年度はゴール関門まで残り10分弱の13時間50分24秒で初完走ができた。
  • 昨年は100km完走後、ダイエットも順調に進み、フルマラソンも過去最多の1シーズン7回走った。今回は、昨年比マイナス5kgの81kgでの出走である。
  • 猛暑であり練習が昨年レベルには及ばなかったことを考慮しても30分程度の時間短縮が期待できるのではないかと思った。
  • 年間を通じて毎日の生活歩数は意識しているもののウルトラマラソンに向けたLSDの開始は遅れ7月の走行距離は36km、8月は263kmであった。
  • 8月27日(金)に炎天下の中、京都市街地の周回をできるだけ山に近いところに沿って9時間で51kmを時々走り、ほとんど歩く練習をした。平均時速は5.89km/hであった。
  • 9月5日(日)は、やはり炎天下の中、大阪・京橋の次男の下宿から十三大橋経由で淀川の右岸をひたすら京都の自宅に向かって最初の少しだけ走り、残りはほとんど歩いた。所要時間は11時間で距離は60kmであった。平均時速は5.48km/hであった。
  • 走る練習にはならなかったが、2回の炎天下の長距離歩行練習で丹後ウルトラに向けて脚の筋肉も少し弾力的な張りができてきたようである。

    スタートまで

  • 昨年同様に前日宿泊せずに、夜行移動で当日受付(午前3時10分〜4時10分)とした。スタート時間が早い(午前4時30分)100kmの部でも約20%の方が当日受付を選択しているようである。
  • 潟gップツアーの企画する往路バスツアーでは、前日JR新大阪駅を23時30分に出発し、当日午前3時に会場到着・受付、午前4時30分のスタートに備えるというものである。前日移動で民宿に泊まっても、どうせあまり眠れないまま午前2時から3時に起きることになるので、車中泊もあまり変わらないと考えた。
  • 前日、午後8時に京都の自宅を出発し、午後10時頃までにはJR新大阪駅の観光バス駐車場に到着した。
  • 車中泊の強行軍でレースに臨む人はそれほど多くなかった。バスは座席指定であったが、二人掛けとなる場合と一人で二人分の座席を使えるケースに分かれたが、昨年に続き幸運にも一人で二人分の座席を独占できたので、あまり眠れなかったが、到着までゆっくり過ごせた。
  • 予定より少し早く午前3時前にスタート地点のアミティ丹後に隣接する体育館に到着した。早速、受付を済ませて、ゼッケンを付け、途中2ヶ所に預ける荷物の区分けを実施した。
  • 第2関門(56km、弥栄庁舎)と第3関門(73.4km、碇高原総合牧場)の2ヶ所に荷物を預けるためのビニール袋が支給された。ゼッケン番号をマジックで記入し、それぞれに着替えのシャツ、靴下、シューズ、エアーサロンパス、ペットボトル、膝サポーター等を入れた。
  • サバスピットインリキッド(68g、170kcal)を10km〜15km毎を目安に補給できるようにウエストポーチに3個持ち、また預け荷物の中にも3個ずつ配置することにした。
  • ゼッケンは2組しか支給されないので、途中2回シャツを着替えるとすると1回は、安全ピンをはずしてゼッケンの付け替えが必要となる。あらかじめ2組目のゼッケンを装着したシャツへの着替えは第3関門のみを予定した。
  • スタートに先立ちゲストの坂本雄次氏と増田明美嬢からの挨拶があった。
  • 坂本氏からは日本テレビの24時間テレビのマラソンに向けた「はるな愛」の練習の取り組みの話と日中は猛暑が予想されるので早めに十分な水分補給を実施するようにとの注意があった。
  • スターターは増田明美嬢であったが、昨年同様にスタートまで笑わせていただいた。先頭付近のランナー達の目が、どうして夜空の星のようにキラキラ輝いるという話と自分は走らず応援だけなのでエイドステーションで地元名産を食べ続けて「豚田明美」になっちゃいますというような話であった。

    スタート〜第1関門(30.0km:旧大阪府久美浜臨海学校跡地)

  • 午前4時30分スタート。まだ真っ暗である。
  • 残暑が厳しい今回は、太陽が昇ると昨年以上の気温上昇が予想される。午後6時30分までの14時間以内にここまで帰ってくることができるだろうか。
  • 初完走した昨年のような緊張感はなく、また練習量も少し少ないかもしれない。また、昨年以上の気温上昇が予想されており、何かアクシデントがあると途中関門にひっかかるかもしれない。
  • 14時間(840分)で100kmなので、単純に計算すれば1kmあたり平均8分24秒でよいことになる。平均時速にすれば7.15km/hである。しかし歩きの入る登り坂では、時速6km/h以下になることを考えると、平地は時速9km/h、下り坂は10km/hを行けるところまでキープしたいところである。
  • また、大きく分けて前半50kmを6時間で走破して、後半50kmに8時間を残すことを目標とした。
  • 昨年の50km地点通過は6時間32分だったので、前半で約30分のタイム短縮が必要である。
  • スタート後、しばらくは網野の市街地を走るが、浅茂川漁港を過ぎると、海岸沿いの街灯のない真っ暗な車道を標高180mの七竜峠に向けて徐々に登りとなる。今回も自分のペースで急な登りは遠慮なく歩くことにした。
  • 7km付近の七竜峠展望台を過ぎると11.2kmの浜詰駐車場に向けては、待望の下り坂となった。やはり下り坂は心地よい。
  • 10km地点通過は1時間10分54秒。昨年より1分04秒早く通過することができた。まずまずのペースである。
  • 走行中はアナログ腕時計での目安としての分単位までの時間確認のみであるが、以下、10kmごとのラップタイムに関する秒単位の記載は、後日郵送されてきた記録証に記載された通過時間とラップタイムに基づくものである。
  • 16.6km地点の久美浜SANKAIKANでは、通常の給水以外に梨と特製スープが出された。
  • ここから30km地点の手前まで途中60kmの部のスタート地点となる久美浜カヌー庫前を通り久美浜湾を時計回りに走ることになる。午前9時00分の60kmの部のスタートまではまだ随分時間があるので、会場付近にいる大会役員や選手はまばらである。
  • 20km地点通過は2時間19分28秒。昨年より5分45秒早い。10kmラップは1時間08分34秒であった。
  • 久美浜湾を右手に見ながら走ることになるが、午前中の日差しが思ったよりきつい。給水ポイントも等間隔ではなく次のポイントまで3〜4km開くところもある。一部のランナーが自販機で飲み物を買い始めたので、私も次の給水所までもたないと判断して、カルピスウォーター500ccで鋭気を養った。
  • 30km地点通過は3時間34分56秒。昨年より8分48秒早い。10kmラップは1時間15分28秒であった。

    第1関門(30.0km)〜第2関門(56.0km:弥栄庁舎)

  • 30kmの給水ポイントで、久美浜湾に別れを告げることになるが、沿道の応援の方にお願いして携行していた使い捨てカメラで写真を撮ってもらった。後で見ると、まだ比較的元気そうな顔をしている。
  • 増田明美さんも応援に来てくれている。「30km通過で3時間半だから早すぎるくらいですよ。マイペース。マイペース。気温が高くなって来ていますので、十分に水分補給をして下さい。」と声をかけていただいた。
  • 40km手前で2度目の七竜峠越えがあるので、35kmを過ぎると、また嫌な登り坂が始まる。登りに入る前に500ccのスポーツドリンクを購入し手に持ちながら進んだ。
  • 登りに入ると走れないところは歩くしかない。歩くにしても時速5km/h以上をキープできれば、それなりに進むはずである。できるだけ大股で歩くようにした。
  • 前半の山場となる2度目の七竜峠越え(39.3km地点)である。峠付近が給水地点となっており、比較的多くのランナーが立ち止まり下りに備えて休憩をしていたが、私は歩きながら給水だけして、立ち止まらないようにして、とにかく下りに向けて少しペースを上げた。
  • 前回と同様に完走に向けては、給水地点での滞在時間は必要最小限にとどめて、とにかく歩きながら少しでも前に進み呼吸を整えるという作戦にした。
  • そのため、給水地点で抜いた同じくらいのペースの人にその後追い抜かれ、また次の給水地点で抜き返すが、また追い抜かれるということが、何度も繰り返された。
  • 40km地点通過は4時間58分08秒で、昨年より9分26秒早い。10kmラップは1時間23分12秒であった。昨年の10kmラップは1時間23分50秒なので、この区間のペースはほとんど同じである。

    第2関門(30.0km)〜第3関門(73.4km:碇高原牧場)

  • 42km付近まで一気に下りとなるが、膝に衝撃を与えないようにスピードをセーブしながらも、体重を乗せて流すように走った。早朝のスタート直後、周りのペース配分に合わせて、往路でこの坂を登るにはつらいはずである。
  • 下り坂の走り方が後半の膝の痛みや黒爪の原因になるのだと思うが、どのように克服すべきか。来年以降の課題である。
  • 42km付近でいったん平坦になるものの、もう一度、標高100mに向けてダラダラと登りが続く。走っては歩き、歩いては走ることを繰り返す。
  • このあたり左手には日本海が広がる。時々立ち止まって日本海の景色を撮影しているランナーもいる。
  • オールスポーツの潟tォトクリエイト社による写真撮影ポイントがある。撮影ポイントの手前で、別のスタッフの方から、この先に撮影ポイントがあるので、ゼッケンを見せて下さいと看板を見せられ、声をかけられた。
  • 後日で購入した走行中の写真を見ると、左手にペットボトルを持ちながら日本海を背景にさっそうと走っているように見える。顔は元気そうである。
  • 44km付近の峠を越えると44.6kmの第10給水ポイント・網野町浅茂川漁港まで一気に下る。すでにフルマラソンの距離を越えた。ここには、1つ目のファイテン元気ステーションが設置されている。ファイテンのスタッフの方が10名程待機し、ランナーに脚マッサージを施してくれる。
  • 4年前の初挑戦で途中リタイアの時は、ここでゆっくりとマッサージを受けまたうどんを2杯食べて5分以上休憩した。昨年同様、今回も当初の作戦どおりマッサージは受けず、またうどんも食べずに、歩きながら給水を済ませて、通り過ぎることにした。ここでも増田明美さんにお会いしたので、ツーショットの写真撮影をお願いした。
  • ここからウルトラの世界の始まりである。
  • 網野の市街地を通り抜ける。平地なのでできるだけ歩かないよう、立ち止まらないように少しずつでも走る。しかし、時々歩いてしまう。目指すは、50kmの中間点と56.0kmの第2関門(弥栄庁舎)である。
  • 50kmの中間地点通過は6時間18分40秒。昨年より13分46秒早い。10kmラップは1時間20分32秒であった。目標の6時間での通過はならず約18分遅れである。後半50kmを残り7時間41分。平地でできるだけ時間を節約し距離を稼いで60km以降72km付近までの碇高原の峠に向けた登りに備える必要がある。
  • 日差しも相当強くなってきたせいか3km先の次の給水ポイントまで気力が持ちそうにない。昨年と同じ自動販売機で冷たい缶コーヒーを飲み鋭気を維持した。
  • 51.6km地点の丹後あじわいの郷は休日のため家族連れで賑わっている。園内を1周することになるが疲れた脚には結構なアップダウンに感じた。
  • コースは府道に戻るが、56.0kmの第2関門(弥栄庁舎)まで、昨年は何度も歩いてしまったが、今回は歩きになる回数が減っている。脚の筋肉が少し強くなっているようにも感じた。
  • 56.0kmの第2関門(弥栄庁舎)は、100km初挑戦の4年前は午後12時15分(スタート後7時間45分)の第2関門時間をギリギリでの通過となり、残り2時間25分で第3関門までの17.4kmが絶望的となった地点でもある。
  • 昨年は25分を残した午前11時50分頃の通過であったが、今年は40分程度を残した午前11時35分頃の通過であった。
  • この第2関門(56.0km)から第3関門(73.4km)までは、410m程の登り碇高原牧場手前の峠に向けて急な登り坂が含まれるコース最大の難所である。
  • 2時間25分+40分=3時間05分の貯金があれば、急坂登りで多くの歩きが入ったとしても次の第3関門通過まで17.4kmを進むのはほぼ確実に思えた。
  • 当初の作戦どおり予備のために預けたシャツやシューズの交換は実施せず、預けたウィザーゼリーで栄養補給し、また、ザバスピットインリキッドを3個補給して弥栄庁舎を後にする。
  • この弥栄庁舎は第13給水地点でもあり、梨、ぶどう、特製バラ寿司が支給されていたが、それらには手をつけず、氷入りのコーラとホットスープのみいただいて歩き始めた。
  • 58km付近の黒部交差点で、60kmの部の選手は左に、100km部の選手は右に分かれる。
  • 60km地点通過は7時間40分00秒で、前回より22分19秒早い。10kmラップは1時間21分20秒であった。6年前の60kmの部の完走タイムが7時間48分であったことを考えると、60km通過時点でその時のペースを上回っている。
  • 時刻は午後12時10分を過ぎ、午後12時15分で第2関門(56.0km)は間もなく閉鎖されることになる。自分より後の4kmの間に、第2関門を通過した選手が何名走っているのだろうか。
  • 登りに入る手前の交通規制ゲート前が60.3km地点の第14給水ポイントである。これから72km付近の最高点(標高410m)を通過し、第3関門(73.4km碇高原総合牧場)を午後2時40分までに残り約2時間30分で走る(歩く)必要がある。
  • 平地であれば2時間30分で13kmを走り切るということはたいしたことはないが、コース最大の登り坂を控え、その時点の高い気温、膝の痛みや身体の疲れ具合からすると油断はできない。
  • 登り坂は200mまで登り、いったん150mまで下り、しばらく平地が続いた後に68km付近から約4kmで一気に410mまで上ることになる。リタイアした4年前の初挑戦や、昨年の下見歩行、昨年の初完走も加えると4回目の急坂登りのコースであり、微妙なアップダウンはかなり記憶に残っておりペース配分には役立つ。
  • 歩きながらも、時折、小さな声で歩数をカウントしながら100歩ダッシュ、無理なら50歩ダッシュを織り交ぜながら、歩いている人を一人だけでも抜いてから再び歩くようにした。
  • 70km地点通過は9時間09分13秒で、昨年より18分11秒早い。60km地点の前年比の貯金を4分程使ってしまったことになるが、まずまずのペースである。10kmラップは1時間29分13秒であり、昨年の同区間のラップより4分8秒悪くなっている。急な登り坂を歩くペースが悪くなっているようである。
  • 急坂をほぼ登り切った71km地点の三叉路の交差点で大会役員の方に写真を撮ってもらった。最高地点通過は間もなくである。
  • 最高地点を通過すると73.4kmの第3関門までは、少し下りになる。体重を乗せて少しスピードを上げた。
  • 午後2時10分、関門閉鎖まで約30分を残して、第3関門を通過。これからは、しばらく下り坂が続くことを考えると時間内完走はほぼ確実と思えた。
  • ここではイスに腰をかけて、シャツとシューズを交換した。忘れないようにシューズに付けたチップも交換して、さらにはスタート地点から携行していたオムロンの歩数計を預け荷物の中に置いていくことにした。歩数はすでに80,000歩を超えている。このまま100kmのゴールまで装着すると、1日当たりの計測上限値である99,999歩を超えて歩数が「0歩」に戻ってしまうためである。
  • ブルーシートで横になっている選手はこの第3関門でリタイアを決めたようである。後から到着した選手の何名かも、大会役員にここでリタイアすることを宣言していた。
  • ニューバランスのイエローのシャツからミズノのブルーのシャツに着替えて、両膝にサポーターをはめて、シューズはアシックスから新品に近いニューバランスに履き替えた。
  • 関門通過ができなかった選手を収容するための観光バスが3台待機している。4年前は下り坂を走る選手を横目に自分もこの収容車に乗った。

    第3関門(73.4km)〜第4関門(87.2km:丹後庁舎)

  • 碇高原総合牧場からは約6kmで一気に400mを下ることになる。膝へのダメージのため次の第4関門を通過できなかった人の話も聞くので、下りは慎慎重に行く必要がある。
  • 昨年に比較すると両膝の痛みがきつい。膝の痛みも予想できたので60km付近で鎮痛剤(バファリン)を飲んでいたのだが、あまり効いていないようである。とにかく両膝が昨年以上に痛い。
  • 最初は楽と感じた下りも長時間続くとかなり苦痛になってきた。昨年以上に多くの選手に抜かれたが、気にせずマイペースを維持した。
  • 80km地点通過は10時間42分31秒で、昨年より12分29秒早いが、70km時点の貯金を約6分も使ってしまったことになる。10kmラップは、1時間33分18秒であり、昨年の同区間のラップより5分40秒も悪くなっている。
  • 下りの坂に別れを告げて国道178号線に入る。片道1車線の国道であるが交通規制はされていない。ランナーは左側走行が義務付けられ、ドライバーの方へは、丹後ウルトラマラソンへの協力依頼の看板が目立つ。
  • 膝への衝撃をずしりと感じる。両膝の痛さがかなり深刻である。ゴールまで残り20kmも走らないといけないのか。
  • 右手に日本海を見ながら走るこの区間もマイペースを守れず、何度も歩いてしまい相当数の選手に抜かれたが、追い抜き返すだけの気力は残っていなかった。
  • 小刻みなアップダウンが続き、また長いトンネル内の走行もあった。
  • とにかく第4関門(87.2km、丹後庁舎)を目指す。
  • 85km付近で黒部交差点で分かれた60kmの部の選手と合流する。彼らもすでに45kmを走っており、疲労の程度は100kmランナーとも変わらないはずである。
  • 第4関門の丹後庁舎への到着は午後4時15分。昨年比での貯金はわずかに9分にまで減ってしまった。関門閉鎖の午後4時38分まで残り23分しかない。
  • 丹後庁舎は第24給水地点であり、特製魚つみれ汁が用意され、また第3ファイテン元気ステーションも設置されていたが、やはり当初の作戦どおりそれらには目もくれず、給水だけ済ませて、ゆっくり歩き始めた。

    第4関門(87.2km)〜ゴール(100.0km:アミティ丹後)

  • ゴール関門の午後6時30分まで残り2時間15分(135分)で、残り12.8km。時間内完走は問題なさそうであるが、前年度記録の大幅短縮は無理なようである。
  • ゴールまでの最高通過点は標高50m程度であり、残りは厳しいアップダウンはない。
  • 冬場のかに料理で有名な間人(たいざ)の旅館街を通過し、日本海を右手に見ながら進む。
  • 87.5km以降は2.5km毎の距離表示が励みになる。
  • 90 km地点通過は12時間09分15秒であり、昨年比の貯金は7分18秒まで減ってきている。10kmラップは1時間26分44秒であり、昨年より5分以上悪い。膝の痛さで平地でも走り続けることができず何度も歩いてしまった。
  • 95km地点を過ぎると残り1km毎のカウントダウンが表示される。時間内完走はほぼ確実であるが、昨年よりはタイムを短縮したい。時々、写真を撮りながら進む。
  • 残り1.2kmの最後の第29給水地点で大会スタッフに写真を撮ってもらった。完走目前のためか笑顔である。
  • 残り1km地点を通過、網野の市街地はすでに街灯が灯る暗さである。
  • ゴールテープを切る瞬間は、オールスポーツによる写真撮影があり、年賀状にも使う写真にもなるので、前後の選手の切れ目に入るように調整したが、昨年以上にゴール付近は混雑している。
  • 最後の直線100m、自分でも逆方向から写真を撮りながら進む。場内放送では自分のゼッケンbニ氏名がコールされ、女性司会者から「お帰りなさい」の声もうれしかった。
  • ゴール手前でハイタッチで迎えてくれる人も多い。
  • 先にゴールした2〜3名が止まっている。ゴールテープが再セットされるまで手前でしばらく停止して待った。
  • 坂本龍馬の格好をした仮装ランナーが後ろに迫り会場が騒がしくなったので急いで先にゴールテープを切った。
  • 両手を挙げてライトを浴びながら、昨年同様に満面の笑顔でゴールである。
  • 写真に写ったゴールタイムは13時間46分33秒、後ほど送られてきた完走証のゴールタイムは13時間46分35秒であったが、その差はあまり関係ない。
  • 昨年比3分49秒のタイム短縮にとどまった。最後の10kmラップは1時間37分20秒もかかってしまい昨年の同区間より3分29秒も悪かったことになる。
  • 自分の故郷である京都府地元開催のウルトラマラソンでの2度目の100km時間内完走である。
  • 完走メダルをかけてもらい周りの方にお願いして何枚か写真を撮ってもらった。目の前で増田明美さんと写真を撮っている人がいたので、自分も本日二度目のツーショット撮影に成功。増田嬢とは握手をしてお別れ。
  • もう一人のゲストの坂本雄次さんとも写真を撮ってもらった。
  • そうこうしているうちに午後6時30分のゴール関門閉鎖の場内放送があり、女性司会者からはゴールを目指すランナーに悲鳴のような声援が続く。
  • 午後6時30分を過ぎても第4関門を時間内通過している人には時計の撤収までは完走を認めてくれるようである。
  • 後日送られてきた大会記録集によると最終のランナーのゴールタイムは14時間02分26秒であった。私のゴール後の約13分間で男女合わせて120名程度がゴールされたことになる。90km地点を通過しながらゴールできなかった方も24名おられるようである。

    ゴール後〜帰宅

  • 京都行きの復路バスは午後7時出発である。30分しか時間がないので、あまりゆっくりと完走の感動に浸っているわけにもいかない。
  • 痛い脚を引き擦りながら更衣室となる体育館内の柔道場に向かう。畳の上に寝転びたい衝動にかられるが、ここで眠ってしまっては、バスに乗り遅れてしまう。
  • 両膝のサポーターの下、左膝が強烈に痛む。両脚の親指の爪は剥がれてしまっているのでは思うくらい痛い。恐々と靴下を脱ぐが、左脚で黒爪になっていない指は中指1本のみで残り4本が黒爪。右脚も人差し指が黒爪となって いた。元に戻るのに数ケ月かかるのだろうか。
  • 着替えを済ませて網野庁舎裏のバス乗り場に急いだ。
  • 車中泊者用の往路バスはJR新大阪発の2台だけであったが、復路は通常の移動者も含めてJR京都駅、JR新大阪駅、JR神戸駅に向けてそれぞれ2台以上が用意されている。なかなかスムースな運営である。
  • 午後7時にJR京都駅向けて出発。運転手の方によるとJR京都駅への到着予定は午後10時30分前後だろうとのことである。
  • バスの中から家族や明走会JAPANの仲間にメールで時間内完走を伝える。
  • 連休中のため渋滞も予想されるとのことであった。JR京都駅から各方面への接続乗車の方もおられるので心配されたが、ほぼ予定どおりの時間にJR京都駅に到着した。
  • JR京都駅から市バスを乗り継いで午後11時15分頃には自宅に到着した。
  • 前日午後8時の自宅出発から車中泊の強行軍であったが、出発からほぼ27時間で自宅まで戻ることができた。月曜日に仕事を休む必要がない土日の1泊2日で完結する地元開催のウルトラマラソンはありがたい。

    レース総評

  • 8年前、第2回大会でほぼ同じ100kmのコースを「フーさん」は11時間15分22秒で、「なかやんさん」は12時間47分39秒で完走されており、私よりもはるかに速い。
  • 今回は2大会連続の時間内完走と時間短縮のみが目標であったが、さらなるタイムアップのためには、今の自分には、登り坂をあまり歩かず、下り坂で膝が痛くならないように鍛える必要がある。
  • 平均時速7.258km/h、1km当たり8分16秒かかっていたことになる。
  • 昨年の第9回大会まで9回連続で100kmを完走された方は15名いらっしゃったようであるが、今回10回連続完走を達成された場合は、サロマンブルーではないが、「タイタン(Titan)」の称号を与えられるとのことであったが、15名全員が達成されたとのことであった。
  • 自分も10回連続は無理でも今後も出場と完走を続けていきたいと思った。


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