会員の完走文/エッセイ集
2002年丹後ウルトラマラソン完走記
2002(第2回)歴史街道丹後100Kウルトラマラソン参加記録
日時:2002年9月15日(日)
場所 京都府丹後半島
天候 曇り〜晴れ 最高気温:25℃位
参加 藤原、中谷(申込975人、完走667人)
記録:藤原:11:15:22(168位)、中谷:12:47:39(392位)、制限時間14時間。
9月14日(土)
- 5:50AM自宅出発、7:10AM発の新幹線で京都へ。
- 京都で走友加地氏と落ち合い、マラソンツアー集合時間までの僅かな時間を利用
して東寺拝観、国宝クラスの沢山の仏像に圧倒される。イノダコーヒでビール&ランチ。
- 12:20に京都駅八条口で丹後100K参加の藤原氏と落ち合う。12:40過ぎ加地氏の見送りを受け、参加者は2台のバスに分乗して丹後へ向かう。
- いきなり隣席藤原氏のビール攻撃。藤原氏は月間400Kを軽くこなす、今年のサロマ10時間台の強者で、僅か2ヵ月半のインタバルで100Kを走ろうという人だから怖いもの無し。
- バスは京都を抜け山形屋なる土産物屋でトイレ休憩、ビールを補給。福知山市辺りで渋滞に巻き込まれ、選手受付会場の"
あじわいの郷"に5時頃ようやく到着。
- そこでの歓迎会は6:30PMからで、待つのがかったるいので、5:30PMのバスで宿舎に向かう。
- 折から大粒の雨が降り出し、この決断は正解であった。6時前夕日ヶ浦エリアの宿舎"はまづめ荘"着。
- 風呂に入り、6時半から広間で夕食。ランナーは15人位か、皆早そうに見える。藤原氏と二人でビール2本、ご飯もしっかり食べる。
- 部屋へ戻り、明日の準備をしたあとは、野球を見ながら日本酒とつまみ(藤原氏がしっかり買ってきてくれていた、流石の余裕)
- 時計のアラームを1:30AMにセットし、10時就寝。直ぐに寝付けたが、12時過ぎに目覚め、その後は1時
間余り布団の中でうとうと。波の音が聞こえる。
9月15日(日)
- 1時過ぎに起き出してトイレ等を済ませ、2時に藤原氏と朝食、これもしっかり食べる。腹がちょっと重たいが栄養補給の方を優先させる。
- 外は霧雨程度、気温は20℃位、暑くも寒くも無く風も無い。雨が少し心配だが、コンディションは良さそうだ。
3:30AM宿舎のマイクロバスでスタート地点の網野北小学校へ。
- 真っ暗な中、スタート地点はライトアップされて気分が盛り上がってくる。体育館で着替え、ワセリンとタイガーバームを摺り込み、ストレッチをし、荷物を預けスタート地点へ。]
- スタート5分前町長挨拶、3分前西村知美嬢が応援&スターター。5:00AMスタート。100K参加は千人弱なのでスムーズなスタートだ。目標は14時間の制限時間内完走、作戦は時速9K、5K33分のペースで行けるところまで行く。理想的には70K、最低50Kまでこのペースで行けば何とかなる。
レース経過
- 2K地点で藤原氏が先に行く。その後7K地点の七竜峠まで150Mの登りだが未だ余裕あり。
- 夜が明けてくる。11.3Kの浜詰迄は下り。浜詰でトイレ利用。(10K通過1:06:03と予定通り)
- その後久美浜湾を一周する35,6K辺りまでは比較的平坦。地元のおばちゃんたちが"お早う、ご苦労さん"と応援してくれる。
- 何を撃っているのか時折山中からライフルの音がこだましあまり気持ち良くない。
- エイドステーションは平均4K置きにあるが、不規則。(20K通過2:07:35、30K通過3:13:31、順調だ)
- 35.1K浜詰で再度トイレ。そこから折り返しの七竜峠登り、歩きも混ぜる。天気が良くなり少し暑くなってくる。40Kを過ぎて44.6K浅茂川漁港迄は強烈な下り、膝に衝撃が掛からないよう腰を落として走るが、左膝が徐々に痛くなる。(40K通過4:21:59、一応ペースは守れている) さあ、ウルトラの世界だ。
- 51.5K昨日の受付場所あじわいの郷一周。ここも結構な登りだ。入場客が声を掛けてくれる。エイドステーションで氷を貰い、膝をアイシング、これでかなり楽になった。(50K通過5:34:09、左膝痛で少し遅れ気味だがまずまずのペース、後半50K時速6Kペースでは行けば良いのだが、膝が持つかどうか。)
- 55.9K弥栄町役場、着替えの出来るレストステーションだ。室内で荷物を受け取り、椅子に座って着替え、中々スムーズな運営だ。ランパンはそのまま、帽子、ランシャツ、靴下、シューズを替える。チップを忘れずに着け替える。膝用のサポーターを入れておいたのは正解だった。夕方の寒い時用に手袋とカッパを腰に装着。荷物を預け、外に出て食糧補給。おにぎりとスープが美味い。頭から水をかぶりストレッチをして再出発。60K過ぎまでは平坦で単調。(60K通過6:57:57、内レストステーションで17分、良いペースだがこれから強烈な登りで膝が不調、ちょっと不安になる。標高差400Mの碇高原まで13Kを2時間で行けるか)69K過ぎまでは余り目立たない登りで助かる。それでも半分歩き。72K辺りまでがきつい登り、当然歩きである。(70K通過8:26:13)
- 73.3Kの碇高原にやっと到着。ほぼ目標タイムの9時間余り、関門制限時間に未だ一時間ある、何とかなりそうだ。水とスープを飲む。ボランティアの人にマッサージをしてもらう。有り難い。80K辺りまでは下りの連続で、呼吸は楽だが膝にはつらい。カーブでは摺り足で大股に歩く。痛みを忘れるため"栄冠は君に輝く、スポーツショウ"等マーチを口ずさんで奮い立たせるが、ランニングのリズムとは合いませんな。でも何とか無事下り切る。(80K通過9:57:29、あと20Kで4時間か、まあ行けそう、でも出来れば13時間を切りたいが、それはちょっと厳しいかな)
- 少し安心したのも束の間、82Kから85Kまでまたまた強烈な登り、こんなの予定に無いよ。鬱蒼とした林の中の旧道で薄暗く、気が滅入り、無性に腹が立つ。(後でコース図を見たらちゃんと書いてあり、私のコース研究不足なだけでした。)3K位延々と、ふてくされながら歩き、85K辺りからは走ったり歩いたり。最後の関門地点87.9Kの丹後町役場は当初予定の11時間を10分オーバーだが、それでも関門制限には1時間近く余裕あり。ここで60K参加者と合流。彼らは10時スタートなので此処まで50K弱を6時間掛けて走っていることになるが、消耗度は100Kランナーと大差ない。(90K通過11:26:59)
- この辺りは国道沿いで車の量が多く、歩道の狭いところも有って結構怖い。疲れているから下手によろけると接触しかねない。細かなアップダウン多く、登りと見ればすかさず歩く。平坦でも半分は歩く、あの電柱からは走るぞと思いながら歩く。
- 最後の5K位は網野町の街中で、相変わらずおじいちゃん、おばあちゃんが応援してくれるので、歩くのは気が引け、無理して走る。いいぞ、13時間が切れそうだ。
- ゴール地点が見えてきた。藤原氏がデジカメを手に迎えてくれる。自分のゼッケン番号と名前をアナウンスする声が聞こえる。
- そういえば今日は777という縁起の良いゼッケン番号のお陰で、あちこちで声を掛けてもらったな。拍手の中手を挙げてゴールテープを切る。手許計時12:47:46、やりました!
- ゴール後、水とカレーをもらって食べる。エイドステーションでは甘いものが多かったので、カレーが美味しい。藤原氏と落ち合い、荷物を受け取ってそのまま6:00PM発のバスで宿舎に向かう。汗みどろで周りの席の人には気の毒だった。バスの中で懸命に脚をマッサージ。藤原氏は11:15位でゴール、一度も歩かずとは凄いが、それでもサロマより30分以上タイムは悪かったとのこと。やはり丹後の坂はそれだけ厳しいのだ。6時半に宿舎近くに到着、少し歩いて宿舎に入り、風呂で汗を流す。7時に夕食。一泊で帰った人が多いらしく、広間の食卓の数は昨夜の半分くらい。食べているのは一人だけ。まだ皆帰ってきていないようだ。藤原氏とビールで乾杯、ビール2本と熱燗2本で食事。隣のランナーは10時間台とのこと。いつもは四万十100Kに出ているそうだが、丹後の方が遥かにきつかったとのことで納得。部屋へ戻って飲み直そうと思ったが、流石に疲れていてそのまま眠る。でも2時間位で目が覚めてしまう。脚が痛く、寒気がする。缶ビールを買ってきて藤原氏と飲み直す。少し落ち着いてきた。2本目を少し残して、又眠る。何とか朝まで眠れた。
9月16日(月)
- 7:30AM朝食。脚は痛くて歩きづらいが、食欲は十分、ご飯三杯に味噌汁もお代わり。
- 9:00AM宿舎をバスで出発、昨日のスタート/ゴール地点の網野北小に集合。昨日のレースの賑わいは跡形も無い、只のさびれた海岸風景であった。
- 10時過ぎ、我々は同じバスで京都へ。途中の道の駅で缶ビール、次の山形屋でコップ酒。
- バスも順調で2時に京都着。新幹線の時間まで2時間近くあるので、付き合いの良い藤原氏と河原町近くの蕎麦屋晦庵河道屋に行く。
- ビールと酒で再度健闘を称えて打ち上げ。蕎麦が不味かったのが残念だが、ほろ酔いで地下鉄に乗り京都駅へ。
- 和歌山へ帰る藤原氏と別れ、新幹線に乗り、殆ど眠ったまま東京着。自宅に夜8時前到着。充実の3日間でした。(了)
コースについて
- 半分近くは海沿いで景色は楽しめるが、何しろアップダウンがきつい。150M2回(5K前後、40K前後)、400M(60〜75K辺り)、200M(85K前後)、これをどうこなすかが完走への分かれ目ではないか。
- スタートとゴール地点が同じなのは便利である。途中選手がすれ違う折り返しが無く、ペースの異なる友人とはゴールまで会えないのが淋しい。
- 後半国道沿いで歩道も狭く、車と接触しそうで怖いところあり。一度の参加なので断定できないが、気候的には最近のサロマほど暑くなく、まずまずのコンディションだった。
- しかし、大自然の美しさ、雄大さも含め、総じてコースとしてはサロマのほうが良く出来ていると思う。
レース運営について
- 丹後半島4町(網野、丹後、弥栄、久美浜)が合同主催、町興しの為4町の総力を上げて運営しており、2回目にしては極めてスムーズな運営振りである。着替え地点を2箇所(55K、70K)から選べるのは有難い(勿論両方でも可能)。エイドステーションの位置が不規則なのと、やや食料の種類が少なく単調なことが難点。ボランティアの数は多く、ホスピタリティは十分。交通量の多いところも結構あり、信号待ちさせられる箇所が多い。警官が交通整理しているところでは、信号が赤でも車が来なければ警官の判断でランナーを通してくれたが、ボランティアはその点やや杓子定規であった(これは立場上、止むを得ないことだとは思うが)。
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