会員の完走文/エッセイ集




2007年サロマ湖100Kmウルトラマラソン完走記  (岡野 三樹雄)


  • 6月21日(木)この日、明走會JAPANの掲示板にサロマの出発の挨拶を書き込もうと思っていたとき、私の目の前で娘が起動中のパソコン本体を動かしているではないか。「やめろ!」という前にパソコンは起動画面から動かなくなった。振動を与えハードディスクが壊れてしまった。いままで何年もかけて作り上げたデーターや写真がすべてパー。
  • パソコンが復活しないまま、23日(土)羽田空港第一ターミナル2F8番時計台の前に集合した。そこで山口さん、菊池さんと会い12時05分発JAL3939便にて女満別空港へ。13時55分に女満別空港に無事到着。さすが北海道この日の気温が15〜16℃と半袖シャツでは肌寒かった。
  • 明日もこんな天気だと走りやすいのだが。 日産レンタカーにて超高級車エルグランド(3500cc)を借り、山口さんの運転で網走駅へ向かった。ここで前日網走入りしていた、藤盛さんと合流して5人のサロマの旅がスタートした。車は湧別町総合体育館受付会場へ向かった。途中、常呂町スポーツセンター(ゴール会場)に寄った。会場は明日の準備で忙しそうだった、明日はこのゴールまで何時間かかるのだろうか?
  • ゴール地点で4人同時ゴールの写真を撮った。いつかはこんなシーンがあるかもしれない?
  • 去年、足型を取って焼き物にしたプレートを見ることができた。プレートに書かれた「ありがとう」のことばは私を生んでくれた両親への感謝のことばです。この世に生まれてこなければサロマを知ることはなく、生きているからこんなに楽しいことができ、10年間も続けることができました。その「ありがとう」です。
  • 受付会場の湧別町総合体育館には16時10分に到着した。16時20分から「さざ波」で行われるサロマンブルー新規メンバーの紹介にも間に合い、すべてのスケジュールを終えて今日の宿である紋別プリンスホテルに18時30分に到着した。
  • 19時30分から蟹のしゃぶしゃぶをメインに乾杯! お疲れ様でした。
  • 24日(日)の朝は早かった。前日22時に床に就き、2時30分に起きれば4時間30分の睡眠時間が取れるはずが、この日に限って何年も電話のない人から0時6分に電話があり、寝ぼけていたのか目覚しの音と電話の着信音の区別がつかず、目覚しと勘違いしてしまった。0時から着替え、0時30分に朝食のおにぎりを食べようとしたとき、部屋中の時計が0時30分であることに気づいた。
  • 着替えたウェアーを脱いで、ベッドに横になった。それからは寝ることはできず、ただ横になってからだを休めているだけだった。ウルトラマラソンで睡眠がとれないのはキツイ!後半疲れが出なければ良いのだが、ちょっと不安になった。3時30分にホテルのロビーに集合して、スタート会場の湧別町総合体育館に向かった。4時にサロマの記念碑の前で記念撮影、全員で完走を誓った。今回、夫婦でサロマンブルー初カップルと言う事で取材があり、完走することが最低条件になってしまった。今年のサロマのテーマはこれからも二人で走って行こうか?それとも10回を記念にサロマを走るのを止めようか、でした。きっと、その答えはゴールに着くまでには出ているだろうと思う。
  • 沿道の皆さんに見送られ2007年サロマ湖100Kmウルトラマラソンはスタートした。ウルトラマラソンで2600人も集まるなんて、サロマはさすがナンバーワンの大会だ。 天気曇り気温は15℃でとても走りやすい条件でした。キロ6分ペースでどこまで行けるかでタイムも決まる。できれば70キロぐらいまでこのペースをキープしたい。
  • 10Kmを56分44秒 20Kmを1時間54分11秒と順調な走りだ。
  • 湧別町のほたて屋さん、毎年応援有難うございます。「今年も来ましたよ!」と挨拶をしてきました。27Km地点で山口さんを見つけた。やはり知り合いの応援は力になります。 ここからオホーツクライン(238号)まで出るまで長い直線道路を2往復しなければならない。気持ちも負けそうになったとき、沿道の人たちの応援はとても有難いです。がんばる力を何度ももらいました。30Kmを2時間52分59秒、キロ6分をキープしています。 35Kmからは景色も変わり走りやすい。
  • 計呂町を抜け42.195Kmを4時間7分36秒で通過、50Kmを4時間57分6秒。45Km〜50Kmのラップタイムではじめて30分をオーバーしてしまった。51Km地点がサロマの絶景ポイントその1だ。坂を上って、下りに入るとサロマ湖の全景が目に入ってきます。この景色は疲れを忘れさせてくれます。すばらしい景色だ。
  • 55Kmのレストステーションまでは高低差40mの上り坂が何箇所かあり、気温も上昇してきた。レストステーション入り口付近で山口さんが待っていた。初めの頃はこのレストステーションで30分も休憩していたが、ロスタイムをできるだけ最小限にしたいのでここを5分位で抜け出ている。レストステーションを出ると上り坂なので、そこでおにぎりなどを食べながら歩いて55Kmを通過しトイレに入るのが最近のパターンです。 ここから238号約6Kmを走って、61Km地点でサロマの絶景ポイントその2がある。
  • キムアネップに向かう途中サロマ湖が前方に大きく見え、ここでも美しいサロマ湖を見ることができる。60kmを6時間8分27秒。サブ10の夢もここまでか!あとは毎年チャレンジしている、浜佐呂間町に入る佐呂間大橋でお昼のサイレンを聞くことができるかだ。98年に出したベストタイム10時間48分13秒のとき佐呂間大橋で聞いたお昼のサイレンがとても印象的で良く覚えていたため、この橋を渡るときは思い出します。
  • 2005年が30分遅れ、2006年が15分遅れだった。今年はなんと98年と同じ橋の上でサイレンを聞くことができた。また10時間台が出るかもしれないぞ。この付近はエイド銀座で白帆の斉藤商店まで3ヶ所もある。斉藤商店で冷たいタオルで顔を拭き、温かい麦茶を飲み、美味しいミニトマトいただき関門がある70Kmへ急いだ。70Kmを7時間21分05秒で通過した。
  • 誰もが嫌いな70Km〜80Km、ここは75Km地点のサロマ湖鶴雅リゾートでそうめんにおしるこを食べられるのだが、疲れもピークなのか、景色もあまり好きでないのか、私はこの10Kmが嫌いだ。ついにワッカ入り口のエイドステーションに着いた。ここでひと休み、今回はアミノバイタルがあったので助かった。
  • ワッカで今年は何人のサロマの友と会えるだろうか、ここからがサロマの醍醐味だ!
  • 80Kmを8時間36分59秒で通過。ワッカ入り口付近で秋田の大○さんを見掛けた、さすが8時間台苦しそうだった。これからワッカに入る私とは3時間の差がある。81Km過ぎの小高い丘を上りきるとサロマの絶景ポイントその3がある。右手にオホーツクの海、左手にサロマ湖このポイントが、私が一番好きな景色です。
  • 今年も何事もなくこの景色を見ることができた、有難いことだ。明走會JAPANウェアーの菊池さんとすれ違う,サブ10間違いなし。立派なタイムだ。次にお会いした人は5年前北京マラソンでご一緒させていただいた岩○さん女性ランナーで今年、年代別で3位に入ったそうです。藤盛さんとお会いしたのが、私が85Km過ぎたころで6Km以上の差はありました。
  • 楽しそうに走っていました。ワッカの折り返し地点に向かう人は、苦しい顔をして走って行くが、みんなニコニコしながら帰ってくる。そんなところが人が神に変わる空間と言われるところなのかもしれない。 ついにワッカの折り返し地点を通過、ここからはすれ違うランナーに苦しい顔は見せられない。90Kmを9時間49分11秒で通過。
  • 頑張れば10時間台がでるかもしれない!90Kmを過ぎるとえっちゃんと会った。
  • 今回、完走は無理かなぁーと思っていたため、こんなに早く会えるとは思わなかった。「よく頑張ったね!」「ゴールで待っているよ〜」と声を掛けた。今日の朝、もし完走できたら10回完走記念に二人で一緒にゴールに入ろうねと約束していた。
  • それが現実になってきたら、もうタイムなんて気にしなくなった。11時間も12時間も同じではないか、それよりも二人で一緒にゴールすることの方が大事だ。ここで私も苦しい顔から楽しい顔に変わった。
  • 先週お世話になった、南仙台走友会○○さんと会った、握手を交わし別れた。「11時間を切ります!」と言って私を抜いていったジャーニーランで知り合った山○さん。12年間で知り合ったサロマの友との再会を今年もワッカはつくってくれた。そんなサロマの友がいる限り、サロマを去ることはできない。
  • 残り4Kmでオホーツクの海ともお別れ、ゴールまで残り2Km。沿道の温かい応援に見守られながら、ゴールのテープを切りました。
  • 今年のゴールタイムは11時間03分47秒でした。12回目のメダルは今までになく輝いていました。ランナーズのGTmailSだとえっちゃんのゴールタイムは12時間16分台で約1時間の余裕があった。
  • この間にシャワーを浴び、ゴール会場に店を出している「幸寿司」のおやじさんに「今年も完走しましたよ!」と挨拶をしてきた。もう11年のお付き合いだ。時間も午後5時を過ぎると、雨もかなり強く降ってきた。5時10分にゴール30mぐらい前のテントでえっちゃんを待った。
  • 5時14分に私の目の前にえっちゃんが現れた。「一緒にゴールに入ろう」とお互いに声を掛け、30m先のゴールへ向かった。10年はとても長かった。中学生の娘が高校、大学へ進み、旅行代理店に就職、そして結婚、2年前に孫の誕生、そんな歴史のなかで私たちのサロマンブルーは誕生しました。いろいろな人に助けられ、10回連続完走することができました。「皆さんありがとうございました」と叫んだときゴールに立っていました。えっちゃんのゴールタイムは12時間14分32秒でした。ゴールから後ろを振り返るとグランドブルーの道が私たちには見えた。
  • PS 山口さん、藤盛さん、菊池さんありがとうございました。


    2007年サロマ湖100Kmウルトラマラソン完走記  (岡野 悦子)


  • 「おはようございます。」サロマ嬢のあいさつから今日一日が始まります。「今年はゴールしたいです。」と太平シローさんのゴールへの宣言が有り、「いちについて〜ェ、よ〜い〜。」 「5,4,3,2,1 ド〜ン。」2600人の老若男女の長〜い、長〜い100Kmウルトラマラソンがスタートしました。
  • 今年はランナーにとっては、走りやすい天気です。気温15℃、天気曇り、風なし。港に出て、また湧別町体育館を外周して、竜宮台へ向います。ペースは6分走。10Kmタイム 三樹雄5時56分 悦子5時57分と順調です。公園のエイドで藤盛さんと会い「頑張ろう」と励まされて、またコースに入ります。 もうすぐ折り返し、菊池さんが手を振って向側のコースから「岡野さ〜ん。」と、私は声も出す事ができず、手を振って答えるだけでした。まもなく私も折り返し、幼い子らが早朝から和太鼓で応援してくれます。地面から足を伝わり心まで響きます。
  • 20Km 三樹雄6時54分 悦子7時04分。日ざしも少し出てきて、汗ばむ程になる。
  • 27Km地点に山口さんが待っていてくれた。カメラが3台、どのレンズに目を合わせれば良いのかわからず、山口さんに手を振って先に進む。30Kmタイム 三樹雄7時52分 悦子8時12分。昨年よりも15分も早い。今、調子に乗って走ると後が続かないので流すだけ。何百人に抜かれた事でしょう。40Kmタイム 三樹雄8時54分 悦子9時19分。エイドで梅干と黒砂糖を食べる。まだ、足の痛みは出ていない。この調子、この調子。42.195Km 三樹雄9時07分 悦子9時26分。東京マラソンよりも1時間半も縮める。左手にサロマ湖、波もなく穏やか。私達を静かに見守っている様です。
  • 50Kmタイム 三樹雄9時57分 悦子10時36分。次の55Km地点のレストハウス(旧緑館)では誰もがトイレを使用するので、ここで3度目のトイレタイム。1つしかないので8分待ち。後ろに並んだ女の子が「すごいですね〜。サロマンブルー。」「いいえ。10年間走ればブルーに変わるだけょ。」と答えてあげたけど、彼女は本当に私を讃えてくれているようだった。お世辞でもうれしい。そして、ブルーゼッケンの凄さも初めて感じさせてもらった。
  • 55Kmタイム 三樹雄10時34分 悦子11時26分。昨年との15分差はまだ、続いている。山口さんがどこからともなく「ご主人は10時15分に行ったよ!」1時間15分前だ。藤盛さんはその10分前だ、菊池さんはその1時間前との事。追いつけないけど、後に続こう。荷物の中からスポーツゼリーを飲み干し、おにぎり1つと梅干を食べて、山口さんへ空の荷物袋を頼んでスタート。応援者がいてくれる事ってこんなに、身も心も軽くなるのかなぁー。そうそう主人から「余り、休むなよ。」との伝言有り。
  • 60Kmタイム 三樹雄 11時08分 悦子12時15分。ここからが長い。
  • お昼のサイレンが今年は聞けなかった。少し気がせってくる。
  • 魔女の住む森(もうここで休みなさいとの誘惑の声が聞える)を抜け、重い足を運ぶ。白帆のエイドで熱いお茶を飲んで気を取りもどす。
  • 70Kmタイム 三樹雄12時21分 悦子13時15分。    いつもここが関門5分か10分前、今年はまだ30分前だ。
  • この分ならゴールも楽しみだと思う。鶴雅リゾートでのおしるこを楽しみに進んできたが、もう何もない。オレンジと梅干を口に入れて、トイレに向う。一人位はティッシュを持っていてくれるだろうと思い3人のご婦人に「すいません、ポケットティッシュいただけますか。」と声を掛けて1つもらう。案の件、トイレットペーパーは無く、芯しか残っていなかった。風が出て来て少し寒さを感じる。日除け用のジャケットが役に立つ。お腹をハンドタオルで覆い万全にする。75Km地点で北海道URCの一群がやって来た。「えっ、もう来たの!」いつもの事、「私をゴールへ連れてって。」と心でつぶやきながら後ろにつき、苦しくてもついて行く。7分30秒走との事、私にはとても早く感じる。それでも、ここで置いて行かれたらゴールはできない。いちにッ、いちにッ、自分に号令を掛けて進む。80Km手前のエイドで一群は一休み。
  • 私は梅干を食べて、一歩一歩進む。するとどうでしょう、今までのペースが体にしみつき、リズムに乗って走れます。80Kmタイム 三樹雄13時36分 悦子14時41分。去年より15分も早い。上り坂も休まず進みます。もう私の世界です。最高!! 天からポッ、ポッと雨が落ちてきて、あたり一面霧に包まれました。その時です、明走曾の金子さんの教えの通り私の痛い左足が1cm伸びた様な気がした。進みたいと脚が動き出すのです。大地を蹴るように前へ前へと、そうなったら止まりません。一人抜き、二人抜き、80Kmから90Kmまで100人抜き、楽しかった。私のうれし泣きを隠すようにいつしか雨は激しく降り始めていました。14時45分に入った80Km,最北端のワッカの折り返しを15時30分に通過。
  • 90Kmの関門は16時40分です。もう、歩いても大丈夫と気を緩めた途端、さっき抜いて来た人達が私の目の前に現われました。
  • もうこれまでかと思う。雨はこれでもかという程ますます激しく降っています。それでも、背中を押されて、また進み始めます。さっきまでのスピードはありませんが走れます。ワッカの神様からバケツで私の所だけどしゃぶりの贈り物です。
  • いつだったか野辺山100Kmでの雷雨の中で走った時の様に気持ちのいい雨です。体が冷えない様にハンドタオルをお腹にあてて、日除け用ジャケットの上に雨具(ゴミ袋代用)を着こんで寒さ対策をした私の体はハイテンションになっていました。雨で足が滑らない様に足裏に力を入れて、アスファルトを踏み、皆が待っていると思うと、のらりくらり走ってなんかいられません。
  • この強い雨が私の熱い体を冷やしてくれました。アップダウンの続くワッカの小道の上り坂はコツコツと、下り坂は慎重に下る。いつしか林道を抜け高校生の待つ98Kmエイドを過ぎるとき、先生や学生さんの拍手の嵐の中を駆け抜けて、雨の中、傘をさして応援しているお母さんたちを横切って、あと2Km赤いカラーコーンの並ぶ道を通って右へ曲がる。
  • 主人が待っていた。「えっちゃん、よかったね。」「よし一緒に走ろう。」と声を掛けられて、カッパを脱ぎ捨てスタート時のスパッツとランシャツ姿に変身、ゴールを目ざして100Kmウルトラマラソン夫婦として、11年間の思いは走馬灯の様に廻ります。小学校3年の子を置いて、中間テスト中のお姉ちゃんに妹を頼んで、具合の悪い母を一人残して、義父の最期を見取り、孫の誕生、そんな家族の陰の応援が有り、二人で始めたから続けられたし、二人で練習してきたから今日がある。
  • 新しい何かを目ざして、これからも1回1回あと10回グランドブルーまで二人でまた走り始めます。フラッシュの嵐の中、両手をかかげてフィニッシュしました。
  • 100Kmタイム 三樹雄16時03分 悦子17時14分32秒。
  • ありがとうサロマの大地。ありがとう応援の皆さん。ありがとうございました山口さん。 長い一日が終わろうとしています。


    72104.jpgスタート地点

    72119.jpg参加メンバー

    72135.jpg岡野夫妻

    72186.jpg岡野さんの力走




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